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フェレスティアの絵などについて

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月20日(火)02時43分54秒
返信・引用
 
「ミラディス習作画展示室」で、フェレスティアの絵とか、ノイスの絵に
ついて、これらは、もっと大きな絵があったはずである、と記した。実際、
両方とも、更新日付が、2001年2月頃の絵であるが、それから十数年
間、放置していたのかというと、それもおかしい。ただ、二十年も前の画
像ファイルになると、数テラバイトを越えるデータ・ファイルを抱えてい
る今となると、なかなか、捜すのが難しい。

ハードディスク内部の構造が込み入っているだけでなく、累積的・継続的
に新しいファイルやデータが蓄積されて行くことがあって、古いファイル
が、どこにあるのか、記憶が上書きされるというか(単純に、忘れたとも
云いますが)、どうも分からない。

それは、とまれ、初期のフェレスティアやノイスの画像文書は、未だに見
つからないのですが、2013年頃に、二つの絵について、ライン修正や、
絵としての完成を試みたファイルを見つけました。試みたというより、ほ
ぼ完成したのだと思います。

ノイスの絵は、右手のワンドの先に、文字が二つ記されているが、これが
描かれていない、従って、この絵は未完成だと書きました。またフェレス
ティアの絵は、よく見ないと分からないのですが、両耳に、イヤリングの
ラフな線があり、イヤリングを描く予定だったことが分かる。また、フェ
レスティアの頭頂には、ステファニ(カチューチャの一般的な呼び方)が
あり、これは、どう見ても、描きかけに見える。

しかし、こう云ったことすべて、2013-2015年更新のファイルで
は、画像処理で完成している。ワンドの先の二文字も描いている。何より
画像が、相当に大きいです。フェレスティアだと、2013年の更新で、
幅1800x高さ2700ピクセルある。2001年頃に、こんな大きな画像が描
けたとは思えないので、どこかの時点で、画像自体のサイズを拡大して、
それに応じて、ラインを描き直した可能性が高い(2013年)。

ノイシア(ノイス)の絵だと、幅1410x高さ2100ピクセルの絵がある。こ
れは、2015年に更新日付がなっている。
添付画像は、ビューワーで見た絵のキャプチャですが、確かに、ワンドの
先の二文字は、仕上げている。(これは部分です)。
ノイス(ノイシア, NoiceA)の絵は、二文字が完成している絵と置き換え
るとして、フェレスティアの絵は、どうしようかと思っています。やはり、
モノクロ・ブルー色にして、置き換えるというのがよいかと思います(こ
の絵はフルカラーなのですが、事情があって、フルカラーの絵は、公開し
にくいのです。フルカラーの絵を見たいという方は、掲示板管理者宛メー
ルでお知らせ戴ければ、ページを造り、そのURLをメールでお知らせし
ます。しかし、態々手間をかけて見るほどの絵ではないとも思います。た
だ個人的には、カラーの絵は、かなり美しいと感じます)。

-----------------
添付画像:ノイシア(ノイス)の2015年の絵(部分)
右手のワンドの先の二文字が描かれている。
_

 
 

更新情報 Mirandaas 2017-0617

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月17日(土)01時40分15秒
返信・引用
 
Khoora Mirandaas の「ミラディス習作画展示室」で、日にち的には
一昨日に一回、昨日に一回、更新を行いました。

一昨日には、「ノイス・天使像A」という画像をアップロードしまし
た。「ノイス・天使像」というのは、ノイスの画像は、未完成なもの
や、公開できるほどの質のないものや、公開には問題がある画像など、
色々あって、翼のある天使の姿のノイスの絵も、複数あるため、「天
使像A」となります。ただ、今後、ノイスの絵で、投稿できるものが
あるのかどうか、分からないです。一枚あり、このままでもよいが、
やはり手を入れた方がよいと思います。

昨日アップロードしたのは、「天使フェレスティア」の画像で、フェ
レスティアというような天使は、どこに出てくるのだろうかと、長く
疑問があったのですか、昨日、あらためて調べて見ると、ある作品に、
フェレスティアという銀河天使が出てくることを確認しました。

フェレスティアは、翼が四枚あり、また、何か不自然なところがある
のですが、小説のなかのフェレスティアの描写・説明を見ると、ほぼ
説明通りに描いていることが分かった。ただし、かなり不自然なので、
修正しました。小説のなかでは、フェレスティアは、長さが3メート
ルの四枚の翼を持っていると書かれているが、そんな大きな翼は描く
ことができない。(描くことはできますが、フェレスティアは、身長
が170cmぐらいなので、3メートルの翼を描くと、バランスが崩
れてしまう)。

絵は、当分はよいとして、詩とか、小説とか、哲学的・思想的論考文、
ケルト神話などに移りたいと思うが、時間があるようで、ないという
ディレンマのような感じです。

_
 

雪の降っている写真

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月14日(水)00時55分39秒
返信・引用
 
先に、冬の木々を背景にして、セレニティが竚んでいるテーム・
タブローについて、雪は、高速度撮影しないと写真には写らない
し、写っても、はっきりした点にはならないというようなことを
記した。

ところで、或る目的から、色々な風景や花の画像を材料として集
めていると、冬の林を背景に、雪が降っている写真があった。こ
ういう風に雪は写るのだろうか、珍しい写真だと思った(添付画
像1)。

グーグルの画像検索で探していたが、「関連画像」というのがあ
り、それらも見てみると、添付画像2や3の写真がある。同じ林
を違ったアングルから撮影したのか、あるいは、林がかなり広大
で、違った場所が撮影されているのか、分からないが、同じ人が
同じ場所を撮影したのだとは分かる。

最初、雪が降っている情景が写っているので、珍しいと思ったの
ですが、写真2,3と見ていると、降っている「雪のパターン」
が、三枚とも、まったく同じです(添付画像1,2,3を比較し
てみてください)。

雪が降っている情景は、一瞬の出逢いで、違った時間に写真を撮
れば、降っている雪のパターンは、まったく違ったものになりま
す。林などの情景は、同じ気象条件の似た時間で撮影しても、同
じ影像が取れますが、雪はそうはいかないです。それがまったく
同じパターンということは、この雪は、あとで写真に追加して合
成したもので、本当に雪の降っている情景の写真ではないという
ことです。

最初は、雪片の形がぼやけているので、本当に雪を撮影したのか
と思ったのですが、合成だったということです。

----------

添付画像:(以下、上中下の三枚に写っている雪は同じパターン)
写真1上:最初に見つけた冬の林の写真画像
写真2中:関連画像
写真3下:関連画像

_

 

更新情報 Mirandaas 2017-0613

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月13日(火)02時57分20秒
返信・引用
 
Khoora Mirandaas で、新しく、「ミラディス習作画展示室」を作成
アップロードしました。
他者に見せるには、あまりにも下手な絵なので、「習作画」の「展示
室」にしました。

「灰羽の悲歌」という、ずっと書こうとして,何故か先が書けない話
の象徴的なイメージ図の制作過程の絵を一枚と、いま一つ、遙か昔に
描いた絵のデジタル修正ヴァージョンの二枚の絵があります。

「灰羽の悲歌」は、制作途上で未完成ですが、絵が進めば、新しいも
のに、交換して行きます。この程度の絵を描くのに,何故こんなに時
間がかかるのかというのは、幾らかでも、ましな絵に仕上げたいため
です。

デジタルで絵を描くには、いま使っている画像処理ソフトは向いてい
ないのです。紙の上に鉛筆で絵を描いて、これをスキャナーで取り込
む方が、よりヴァリエーションのある絵が描けるのですが、最近は、
それもうまく行かない。

イラストレータは、絵を描くためのソフトですが、これは、使い方を
覚えるのが非常に難しい。代わりに、もっと安価で、使いやすいだろ
うと思える「クリスタ」を購入したのですが、これを使うのは何時な
のかとも思う。

「存在は何故存在するのか」という文書を、完成というか、まとまり
の付いた形にしたい。いまの状態でも、ある程度の内容はあるのです
が、「無とは何か」という分析を加えて、結語か、何かそういう展開
にしないと、文書としてまとまらない。

他方で、ミラディス夢幻詩葉の詩を書かねばとも思うし、肝心の「灰
羽の悲歌」という物語(小説)を何とか進めたいとも思うが、どうも
先に進まない。

とまれ、久し振りに新しいページができたので、更新情報です。

_
 

ノイシアンの詩

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月11日(日)11時31分47秒
返信・引用
 
「ノイシアンの詩」とは何のことか意味不明ですが、ある特徴
を持った幾つかの詩のことになります。わたしが書いた詩(の
ようなもの)のなかの、特徴からそう呼びます。

ところで、先に、「インヴェンション」という詩があり、これ
を公開するには、「ミラディス夢幻詩葉集」は適切でなく、別
の詩のコレクション・ページを造らなければとか記しました。

「インヴェンション」は、どこにあるのか。これは遙かな昔に
書いたので、無論、手書きで紙に書かれていたのですが、デジ
タル文書として、ワープロに入力し,更に変換して、DOSテ
キストになっているはずですが、見つからない。グレップ検索
で、あるフォルダーのなかを調べると見つかった。

ところが、「ノイシアンの詩」が見つからない。というか、元
々「ノイシアンの詩」などというタイトルの詩はないので、検
索しようがない。2000年から2004年頃に書いた記憶が
あるので、その頃の文書を調べて見たが、見つからない。

「君は風なる」という句が入っていた記憶があるので、「君は
風」という言葉を検索語にして、膨大なファイルが入っている
フォルダーをグレップ検索すると、わずか、1,2秒で、その
句の入った詩がヒットした。何故そうなのか、という理由は、
そのファイルを見てみて分かった。

はるか昔、17年ほど前に、同じ事を考えたようです。
「ノイシアンの詩」が4編ほど入ったhtmlページがあり、
その最後に、「インヴェンション」が入っている。
つまり、ノイシアンの詩を集めたページを造り、そこに「イン
ヴェンション」を入れれば、うまく入ると先日考えたが、そう
いう「小詩集ページ」を、17年ほど前にすでに造っていて、
何時頃から忘れたのか、すっかり忘れていた。

過去に造ったので、その記憶が働いて同じ発想になったのか、
あるいは、17年前に、ノイシアンの詩を集めたとき、それに
加えるに相応しいのは何かと考えて、「インヴェンション」を
選んだと云うことは、今回考えたのと同じことを考えたことに
なります。

「インヴェンション」というのは、1980年代初めに書いた
詩で、他方、ノイシアンの詩は、2000年頃に書いた詩で、
年代的に随分違っている。

----------

とまれ、ノイシアンの詩は、すでにページを造っていた訳で、
しかし、4編+インヴェンションでは、どうも寂しい。何か他
に追加できないだろうかと考える。おそらく、17年か、15,
6年前にも同じ事を考えて、分量が足りないので、これはいづ
れ、内容が充実すればという考えもあって、公開していなかっ
たのだと思う(短期間か、または個人的に、特定の人に見せて
いた可能性がある)。

ノイシアンの詩葉、基本となる詩のタイトルが、「The Amazing
Grace」で、ページのMIDIが、「アメージング・グレース」
のMIDIになっています。

冬の雪のなか死んで行ったうさぎについて詠っている詩です。
死を美的に讃美しているナルシスティックな歌なのか、とも思
えるのですが、何か違うことを述べているのだと思う。

十代の終わりから二十代にかけて、かなり熱心に日記を書いて
いた記憶があるが、その日記には、その日に何が起こったのか、
誰とあったのか、具体的な現実の情報は何も書かれていない。
それらのできごとなどの結果、心に抱いた感情や思いや考えを、
背景にあるできごとを、一切明示せずに書いた。日記にあるの
は、感情の分析的な描写や、そこから来る、世界についての思
考や、暗喩や象徴などで、「できごと」の文脈が分からない場
合、何ゆえ、このような象徴や暗喩や,言葉や思考の流れがあ
るのか、分からない。

詩のラインで、耽美的、自己愛的な表現や形象が記されていて
も、果たして、記されているような内容を本当に書いているの
か疑わしい、と「エインの霧」について記したが、二重、三重
あるいは四重の意味や考えが流れていて、それを一つの文脈の
体裁にしている可能性が高い。

アリストテレースは、「歌うたい(ホメーロスの徒)が、法螺
を吹いている」と明言し、ヘーシオドスは、自分自身が伝承を
編集し、神話や系譜や物語を創作したにも拘わらず、詩のなか
で、ヘリコーン山の詩神・女神がすべてをわたしに教えてくれ
たとか述べている。

ホメーロスは、叙事詩をうたうたびに、異なる内容の詩句をう
たった。しかし、6世紀頃か、アテーナイの最盛期にあって、
文字記録にその叙事詩が記録されると、ホメーロスは、この長
大な詩を完全に暗唱していて、何時うたっても,同じ言葉をう
たったかのような錯覚が生じた。
ホメーロスに限らず、吟遊詩人たちは、即興で物語り詩をうた
ったので、同じ物語、というか、物語は同じでも、語られ方が、
その場その場で変化した。

どういう言葉が出てくるのか、詠われるのか、うたを所望した
貴族や民衆、聴衆に分からないと同様、実は、うたをうたう吟
遊詩人にも分からなかった。大まかな筋は決まっているが、言
葉は、その瞬間瞬間に生きて誕生し、翼をもって飛んで行く。

ホメーロスに限らず、古代ギリシアの叙事詩は一般に、ムーサ
が、叙事詩人の言葉を使ってうたっているとされる。誰が誰の
構想や思考を、言葉にしているのか。ムーサ女神か、叙事詩人
か。二重性がある。

_

 

更新情報 Mirandaas 2017-0608 +その他

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 9日(金)07時34分16秒
返信・引用
 
昨日のことだったと思うのですが、(一昨日かも知れない)、ミ
ランダースの方で、マイナーですが、更新しました。

「ミラディス夢幻詩葉集」に、五番目の「詩」(らしきもの)を、
追加しました。

ただし、これは最近のものではなく、かなり古い作品です。

「黒い鷲 III, L'Aigle Noir III」と云いますが、これは、同じ
題名の「黒い鷲, L'Aigle Noir I」と同じ頃に書いたものです。
「黒い鷲」は、全部で、五編あるようで、最初のものは、あまり
に出来具合が悪いというか、自分の趣味になっていると思い、二
編ほど、追加的に、ごく短期間公開していたことがありますが、
削りました。

たまたま、五つの「黒い鷲」の原稿を見つけたので、読み返して
みると、そんなひどい内容でもないので、再度(かまたは、初め
てか)公開することにしました(前回、と云っても、十年以上前
ですが、何を公開したのか覚えていない)。時間をおいて、「黒
い鷲 III」を見てみて、質的にいいだろうと思えた場合、他の同
じ系統の作品「黒い鷲」のIIとかIVなども、公開するかも知れま
せん。

また、「インヴェンション」という詩があるのですが、(これは、
特に好きなので、印象が強いのでよく記憶している)、確かこれ
はオンライン(インターネット)で公開した覚えがない。同人誌
に掲載したが、それも、30年かそれ以上昔の遙かなことなので、
これも公開しようと思っています。ただ、「ミラディス夢幻詩葉
集」に入れるのは、ちょっと場所が違うと思う。

ずっと昔に、「ノイシアン詩集」というページを計画したことが
あるのですが、どうも、作品があまりよくないというか、公開す
るに値しないと思ったので、それはやめた。しかし、それも十何
年も前で、いまはまた評価が違って来た。「ノイシアン詩集」と
いうページを造って、そこに「他のノイシアン系統の詩作品」と
倶に、「インヴェンション」を収録するのがよいのではと思った。
実際に、新しいページを造るかどうか、計画だけになるかも知れ
ませんが、一応そういうことを考えています。

計画だけだと、イラストのページを新設しようとも思っています。
PIXIV にアカウントを持っていて、一作だけ、それも、モノクロ
で、もの凄く小さな画像しか投稿していないが、フォロワーが一
人いるので、何か描いて投稿しなければとずっと考えて来た。
(これは、色々と背景があります。後に説明できればします)。

計画だけと言えるかも知れないが、
2015年の終わり頃、「ミランダ・グノーシス序説」という文
書を、二つほど書いていて、一方はある程度の分量書いたのです
が、どう結末を付けるか、展開させるか分からなくなった。

これは、「存在は何故存在するのか」という哲学的問題に、答え
は「これである」という趣旨で書き始めたが、書いていると、答
えになっていない。なっているとも言えるが、神秘主義的直観の
ような部分もあり、そこは宙に浮いてしまう。古代ギリシアにお
ける「自己立ち昇りする自然」とか、「カントの物自体」とか、
弁証法的唯物論は、単なる「素朴実在論」に空想や妄想が混じっ
たものに過ぎないとか書いていると、神秘主義的な話では、済ま
なくなってきた。(わたしたちのサイトは、一見、「オカルト的
・とんでも系サイト」に見えるのかも知れないが、内容的に、そ
んな「とんでも」なことは書いていない)。

「存在と無」で、「無とは何か」ということで、「無」のモード
(様態)あるいは概念が複数あるので、それらを説明して区別し
て、とか考えていると、2015年末であるが、疲れてきたとい
うのがある。

「ミランダ式エンチクロペディー」とかの話も書こうと思ったが、
別の機会にします。

--------

この掲示板は、次の二つのウェブサイトの共用掲示板です:

  Khoora Mirandaas コーラ・ミランダース
  (ミランダ・グンーシス主義サイト)
http://mirandaris.in.coocan.jp/

  Khoora Sophiaas コーラ・ソピアース
  (Sophia7サイト,ソピアー・ウェブサイト)
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/index.html

_ Miranda

 

「KB2987107」

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 7日(水)04時31分21秒
返信・引用
 
ウィンドウズ・アップデートで見ると、「KB2987107」というのは
来ていないようである。オプションの方でも見たが、来ていない。
あるいは、来ていたが、インストールしないので、取り消したのか
も知れない。

前回の更新プログラムのインストールが、4月28日で、今回は、5
月分が、6月7日にインストールということになる。

ハードディスクのバックアップを取っておかないと、と思うが、あ
まりにも容量が大きいので、なかなか、バックアップといかない。

数ギガバイトとか、100GBぐらいなら、バックアップできるが、
何しろ、バックアップのないデータが、2テラバイトとか、3テラ
バイトもあると、USB2では、時間がかかりすぎる。

再度云うが、マイクロソフト、死すべし。万死に値する。

_

 

ウィンドウズ・アップデートは迷惑である

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 7日(水)04時06分53秒
返信・引用
 
率直に感じるところ、MSの提供するウィンドウズ・アップデート
には、本当にうんざりしている。

昨年だったのか、WIN10へのグレードアップとか、無料だとか
宣伝していたが、そもそも、OSのアップグレードというのは、単
なるアプリケーションのアップデートなどと違い、PCの根本シス
テムに関係するので、マイクロソフトが、何を保証しようと、そう
いうアップグレードはしない。

遙かな昔、WIN3.1だったとき、WIN95へのアップグレー
ドが可能ですとか云ってきたが、そもそもメインのストラージュか
らして、WIN95を支えるには、容量不足は明らかである。Cド
ライヴに500MBしか容量がないマシンで、どうやってWIN9
5が動くのか、無責任なことを云うと思った。

これは遙かな過去の話であるが、昨年起きたのは、同意もしていな
いのに、何時のまにか、勝手に、WIN10アップグレード用ファ
イルがダウンロードされていて、ある日、気づくと、WIN10に
勝手にアップグレードされていた。WIN10で、何か便利になっ
たことがあるのかと、1週間ほど、WIN10を使って、確認して
みたが、特に、よくなったという点は何もないという結論だった。
だとすれば、WIN7にロールバックすればよいということになり、
手順通りロールバックしたが、その結果たるやさんさんたるもので、
不具合が発生し、データベースが壊れ、いまだに完全復旧には、ほ
ど遠い。

この件以降、マイクロソフトは独占状態をよいことに、勝手し放題
ということが明らかになったので、毎月のアップデートとか、オン
ライン上のアップデート情報サイトで、何か問題のあるものを、M
Sが送って来ていないか、確認しながら、問題のあるものは、イン
ストールしないという方針で、やってきたが、いい加減に疲れてき
ます。

毎月、問題があり、セキュリティ向上のためのアップデートという
より、マイクロソフトが、自社の都合で送りつけてくる、得体の知
れないプログラムなどが、含まれている。しかも、以前は、セキュ
リティ・アップデートのファイルと、それ以外の関係のないファイ
ルと、別個にダウンロードやインストールができて、セキュリティ
に関係のない、有害なファイルは排除できたのが、「ロールアップ」
という形で、複数のアップデートを一つのファイルにまとめて送っ
てくるので、MSの都合のための「有害なファイル」を排除できな
くしてしまった。

アップデートは、毎月、月末辺りに、5月分のアップデートで、ど
のファイルをインストールすると、どういう問題やトラブルが起こ
るか、確認できた後で行うようになった。いまはすでに6月である
が、5月のアップデートを行うために、オンライン情報を読んでい
ると、5月分は、あまり問題がないようであるが、しかし、過去に
すでに配信済みのファイルを再度送って来ているとか云う。調べる
と、その番号、

>2017/5/11  KB2987107(IE更新)

これは、「2014/10/14配信済みのKB2987107」と情報サイトは云って
いるが、確かに、この番号の更新ファイルは、すでに2014年10月に
インストールされています。

いまからアップデートするので、この番号の更新ファイルが本当に
来ているのかどうか確認しますが、こういうのは、いちいちチェッ
クしているのは、うんざりしてきます。

また、WIN10は、最低最悪の「屑」だと判明したとか云ってい
ます。

マイクロソフトの「独占体制」が、結局こういう身勝手なことに繋
がっている。今更、アップルに切り替えることもできない。

マイクロソフト、死すべし(しかし、独占体制で、死なれると,後
が困る)。

_
 

更新情報 Mirandaas 2017-0604

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 4日(日)09時11分20秒
返信・引用
 
Khoora Mirandaas で、少しですが更新・コンテンツを追加しました。

「ミラディス夢幻詩葉集」で、二つの作品を追加しました。

一つは、2017年の3月に書いたもので、「エインの霧に」。
この詩には、説明というか解説が付いていて、「エイン」とは、カッ
バラーの「原初における無・全無」であり、「エインの霧」とは、文
字通りには、「無の霧」になる。しかし、詩に含まれる比喩や暗喩は、
耽美的なもので、そういう主題には見えないというようなことです。
しかし、エインとは、「存在の潜在状態・デュナミス=無限可能性状
態=仮想夢幻」であるので、最初から、そのような意味を前提に言葉
を書いているので、表面的なイメージの修飾とは違う内容だと述べて
います。本当にそうか、読む人次第です。

もう一つは、何の詩かよく分からなくなっているのですが、「花の色
-夢のミレリア-ナイルの青」です。2015年に書いた詩です。
「ミレリア」とは女性のような人物なのですが、一体何なのか分から
なくなってしまった。これは、適当に文章を書いているからこうなる
のではなく、「ミレリア」というのは、心に登場するイマーゴ(像)
で、何であるか、敢えて具体的な像を言葉で規定しない方がよいと云
うのが、このイマーゴの意味になります。

非常に印象的で強いインパクトを持つ心像(イマーゴ)というのがあ
り、三十年前か、もっと前なのか、ある夜に、心のなかに存在してい
るので、何とか、このイマーゴを再想起可能なものにしようと、名前
を付けたことがあります。日本語で言うと、「忘却」というのが、妥
当なイマージュなので、ギリシア語の「レートス, Lethos」、「レー
テー, Lethe」を考えたが、どうも、性別が男性でも女性でもない(レ
ートスは、男性名詞で忘却、レーテーは女性名詞の忘却で、冥府の忘
却の川が「レーテー」です。中性形だと「レートン」になるが、そう
いう感じではない。ラテン語だと、「オー」という形の名詞語尾があ
る。またギリシア語だと、「オー」に終わるのは動詞になる。そこで、
「レートー」という名を付けたというのがある。あとで大辞典で調べ
ると、レートーという形で動詞として存在している。ランタノーとい
う動詞の詩的形で、特殊な形態だが、語幹からは容易に想定できる。

「ミレリア」というのは、「象徴的爾」で、語りかける対象になる。
返答がなければ、返答がなかった、ということになります。

_

 

西暦表示と元号表示

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 3日(土)18時29分1秒
返信・引用
 
インターネットのニュース記事などを読んでいると、しばしば何時のことか
分からなくなる年月表示が出てくる。記事の前後をみたり、少し考えると、
分かることであるが、突然出てくると、分からない場合がある。

次の記事は、兵庫県豊岡市にある建設途中で放棄され、巨大な廃墟となった
ホテルの建設途上の建物が、30年あまり経過して、このたび、解体撤去さ
れることになったという、さるニュースサイトの記事である:

>> 実は廃虚マニアには有名な場所で、インターネットでも話題
になることが少なくない。というのも、豊田商事(倒産)が所有し
ていたと噂されたいわく付きの物件だったからだ。高齢者を狙った
詐欺商法が社会問題化し、会長が刺殺された事件(60年)と工事
頓挫がほぼ同時期だった上、事件との関連を思わせるテレビドラマ
の舞台になったことから、「都市伝説」が独り歩きした。

(出典:サンケイウェブ)

この記事では、(60年)という年代が記載されている。最初に「昭和60
年」と明記していることと、記事見出しが「30以上野ざらし巨大廃墟」云
々なので、60年というのは、昭和の元号での表記年代と云うことになる。

これは「豊田商事」事件なので、60年というと、1960年ではない、と
云うのは自明なように思えるが、なかには、「豊田商事事件」そのものを知
らない人もいるのではないかと思う。1985年のことなので、その年に生
まれた人は、現在、32歳か31歳で、それより若い人だと、生まれる前に
起こった事件になる。すると、知らないという人もいて当然である。

昭和の場合は、西暦とのあいだでかなりな時間差があるので、混乱が起こる
ことは少ないが、他方、古い話になってきて、知らない事件や出来事だと、
例えば、54年とか書かれていると、昭和54年か、1954年の略か、す
ぐには分からない場合がある。
これが、平成元号表記と、西暦表記の略だと、より分かりにくくなる。例え
ば、「13年に起こった」とかだと、これは平成13年なのか、2013年
を略して13年と云っているのか、年代的には、12年しか差がないので、
よく知らないことになると、どちらか分からない場合がある。

記事文中で、元号年代と、西暦年代の略年代を混用する場合もあり、ときに
西暦なのか元号表記なのか、分からなくなる場合がある。

役所などは、元号で年代を表記するが、個人的には、西暦年号を使用してい
て、元号を使っていないので、ときに今年は平成何年なのか、分からない場
合がある(すぐには出てこないと云うことで、数秒時間をおくと出てくる)。

---------

時代小説とか、歴史小説を読んでいると、元号で年代が表示されているが、
一体、西暦で何時のことか分からない。
「寛永」とは、江戸時代初期、徳川家光が将軍だった頃の元号だと思うが、
「寛永二年」とか云っても、西暦何年か分からない。1640年前後ではな
いかと考えるが、よく分からない。
中国を舞台にした歴史小説(例えば、『三国志』)などを読んでいても、中
国の元号で年代が表示されているが、これは、もっと分からない。

西暦にすべて統一すればよいようにも思うが、色々な事情からそうもいかな
いのであろう。歴史小説などでは、とりわけ、年代の表記法が、小説世界の
雰囲気を造るので、西暦221年とかに、蜀の劉備が後漢の滅亡を受けて、
漢の皇帝を名乗ったとかいうのは、221年と記されるが、この年が、蜀の
「章武元年」になり、以降は、章武何年とか使われるが、章武は223年ま
でしかなく、また同じときに、魏でも年号を定めていて、やがて、三国(魏
・蜀・呉)の三つの国で皇帝が現れ、三つの元号が生まれるので、日本の元
号以上に複雑この上ない。

西暦は、ADと略されるが、これは、Anno Domini(主の年)の意味で、キリ
スト生誕年を、AD1年としているが、実際には、イエズス・キリストが何
年に生まれたのか明らかでない。また、活動したとされる年代から逆算して、
西暦前6年頃に誕生とか云うことになっている。西暦は、キリスト教年号に
なるが、イスラム教には、イスラム暦があり、日本も70年前は、神武天皇
紀元を使っていた。

宗教や、地域や国や特定文化に依拠する年代表現ではなく、何か、地球での
「普遍的年代」というのがあればよいように思うが、現時点では、普遍的な
年号の起算点に当たる年が、決まらないようにも思う。

地球統一政府(地球連邦)のようなものが成立すれば、成立時点を、地球暦
の起算点にすると、地球普遍と言える。しかし、そういう組織が成立するの
かどうか、また、地球統一政府などは、望ましいのかどうか、いまとなって
は疑問の方が多い。

---------

ニュースサイトの記事において、元号表記の年代なのか、西暦表記の略なの
か、混乱が起こるという話であったが、面倒でも、元号の場合は、いちいち
平成とか昭和というのは、付けるのが望ましいように思う。数行の間隔で、
連続して出てくる場合は、元号は略してもよいと思うが、少し離れれば、平
成か昭和か、他の元号を明示するのがよいと思う。

_ Miranda

 

「ミラディス幻想詩葉集」のスプラッシュ画像

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 2日(金)04時14分3秒
返信・引用
 
「ミラディス幻想詩葉集」のページの最初に、スプラッシュ画像と云うか、
主題を象徴する画像を置いています。

この画像は、青の背景に百合の花が左右上下に広がっている画像です。サイ
ト上で見ると、幅300ピクセルの小さな画像で、細部が分からないと思い
ます。実際には、この画像は、保存すると分かりますが、幅600ピクセル
あります。この大きさだと、画像にはどういう要素が写っているのか、ほぼ
分かります。

最初に投稿した画像は、文字が小さすぎて見づらいと思ったのと、百合の花
が灰色になっているというか、鮮やかな「白」ではないので、画像を再度処
理して、別の画像と置き換えています(別の画像と云っても、基本的には同
じ画像で、四隅の白い霧を増やしたことと、文字を以前は、黒の文字色に、
白の輪郭で通常文字だったのを、白の文字色にして、輪郭を黒に変えました。
また文字はボールド体にして強調しました)。

文字は、Miradis Poiesis と書いています。
Poiesis というのは、ギリシア語で、「ポイエーシス」です。

このスプラッシュの「百合の花」は、別の目的で利用するため、背景から切
り抜いておいたのですが、別の目的では、結局、使わないことにしたのと、
このスプラッシュを造るとき、この切り抜いた百合の花を使おうと思ったの
です。

この画像はどうなっているのか、かなり込み入った構成なのですが、言葉で
説明すると長くなります。添付に、最初の画像(文字色が黒)と、次の、現
在の画像(文字色が白で、ボールド体)を付けますの。画像をクリックする
と、600ピクセルの幅の画像が表示されるので、どう違っているのか、細
部はどうなっているのか、ある程度、分かります。

---------
添付画像・上:最初のスプラッシュ(文字色黒)
添付画像・下:現在のスプラッシュ(文字色白)

_
 

「傷が治らない」のその後

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 5月31日(水)07時41分29秒
返信・引用
 
先の文書を投稿した後、この投稿の前は何を書いていたのだろうか、と思っ
て、一回前の投稿を見ると、足の膝あたりの傷が治らない、という話でした。

その後の経過です。

5月10日に書いているので、もう3週間前のことです。
傷はというと、ほぼ治癒したのですが、「ほぼ」であって、さすがに、もう
薬を塗るとかはしていませんが(なかなか治らないので、化膿止めだけでは
なく、傷薬を買ってきて使っていた)、しかし未だ、傷口がふさがったとは
言えない。

医者に行けばよかったのでは、とも思いますが、結局、医者に行っても、化
膿止めを含む傷薬(細胞再生を促すような物質が含まれた薬)を処方するだ
けだと思うので、行かなかった。

6週間たつが、完治とは言えない。また、相当に醜いとも言える傷跡が残っ
てしまった。この傷跡が、薄い目立たない色になるのは、一年かかるのだろ
うか、それ以上だろうか、とも考えてしまう。

しかし、思って見ると、相当に無茶苦茶な生活をしてきたが、病気などには、
あまりというか、ほとんど罹っていない。病院に入院したとかは、十歳の頃
の盲腸の手術ぐらいしかない。

今後はどうなるか、分からないですが、健康面では、相当に恵まれていたと
思えて来ます。

_
 

更新情報 Mirandaas 2017-0531

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 5月31日(水)07時16分27秒
返信・引用
 
ここに記録しませんでしたが、一昨日の夜23時に、Khoora Mirandaas で
更新を行いました。

以前に述べていた、「ミラディス夢幻詩葉集」を、ともかく、造ってアップ
ロードしようと考え、一編しか作品がありませんが、掲載して作成しました。

スプラッシュ画像というのか、ページのトップにテーマを象徴的に示す画像
を作成して配置しましたが、何か「百合の花」が多いです。

----------

以上の更新は、29日夜23時のことです。

本日31日の早朝6時に、もう一編、『独りにありてわが涙よ』という詩葉
を、追加しました。

こんなものは「詩」でない、という方もいるかも知れませんが、それは主観
の問題でしょうから、構いません。ナルシスティックな言葉の連なりだと思
いますが、書くのに、結構、時間がかかっています。

そもそも、わたしには詩の才能がないと思います。しかし、才能ある詩人の
書いた作品が意味あるものかと云えば、あまり意味もないように思います。

過日、逝去した詩人に大岡信がいますが、彼の作品を幾つか、遥か昔に読ん
だとき、才能のある人だが、しかし、この作品は何を言いたいのだろうかと
思いました。何が言いたいのかは、分かるのですが、そんなことを云って何
になるのか、というか、あまり意味を感じなかった。

死亡の記事をインターネットの情報ページで見たとき、昔読んだ詩が思い出
され、このときは、はっきりと、才能に溺れて傲慢の極みだった詩人と感じ
ました。「傲慢」というのは違っているのですが、結局、独断を書いていた
訳で、こういう状況を何というのか、自愛的、または傲慢としか云いようが
ないようにも思いました。一般に云う、自愛的とか傲慢ということではなく、
わたしは、そういう印象を受けたと云うことです。実際は、もっと心に広が
りがあった人だった可能性が高いです(実は、よく分からないのですが)。

昔に「耽美和歌集」とかを書いていたが、いまは、「夢幻詩葉集」になりま
した。
どこが違うのか。耽美的、人工装飾的、ナルシスティックはあまり変わって
いないと思う。しかし、何か違っていると思う。「孤独・空しさ」と云えば、
昔から、そういう詩句や言葉を稚拙にも書き散らしていました。たいして成
長がなかったとも思います。

しかし、確かに何か違うと自分では思います。「孤独・空しさ」というのも、
そうであるが、実質は、やはり拙劣な、人工的な、句や言葉の展開にあるも
のが、より適切に、「何を書いているのか・何を感じ、考えているのか」こ
のことを、示していると考えています。

原稿を見ると、あと2編ほど、できあがっている作品があり、これを追加で
載せる予定です。また書きかけの作品があり、これは、エジプト新王国盛期
の王女メリトアメンが、夜中にふと何かを感じ、翌朝、ナイル河に向けて旅
立つ(と云って、一日も経過せずに到達するのですが)という情景を描いて
いるのですが、何のために、メリトアメンが、ナイル河畔に行くのか、確か
3月の終わり頃に書いていたときにも、何の為なのか理由がはっきりしない
ので、考えていたが、分からないのと、進まないので、書いている途中と云
う状態です。(完成しないと思う)。

あれから2箇月が経過したが、何もしなかった、というか、この「夢幻詩葉
集」については、進行なしですが、再度、詩を書くことに意識を向けたいと
思っている。


_ 2017-0531-0710 Miradis

 

なかなか、傷が治らないこと

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 5月10日(水)09時34分16秒
返信・引用
 
考えてみると、もう三週間になると思う。いや、3週間と3日になるのではな
いか。
何が三週間かというと、道を歩いていて、足を怪我したが、それが三週間前の
ことだという話です。
十歳ぐらいの頃は、走っていたりして、転んで足などをすりむいて怪我すると
いうのは結構あったように思う。
いま、考えてみると、十代半ばになると、もうそういうことは少なくなったよ
うに思うし、それ以降も、あまりその種の怪我はない。これは、幼児体型から
前思春期乃至思春期体型に変化するとき、感覚運動系でも、身体の形態に応じ
た、神経システムの調整機構に切り替えが起こる。
単に、十歳前後の子供が、運動が多く、怪我する状況との遭遇も高いというだ
けでなく、運動システムがうまく働かないのも、一つの原因ではないかと、こ
の文章を書き始めてから、気づいた。

つまり、感覚運動系の発達は、幼児の頃に未完成で不安定だったものが、十歳
前の段階で、一時、安定状態になる。身体の安定性は、少し遅れ、知的発達に
おける判断能力や思考力の安定は、更に少し遅れるが、しかし、大体、平行し
て、同じ頃に安定状態になる。
十歳頃に、運動していて怪我しやすいというのは、運動量や時間が多いだけで
なく、その頃に、運動システムが不安定になるのも理由なのではないか。
走ったりしていて、バランスを崩して転んで怪我をするというのは、十三、四
歳以上になると、あまり起こらない。

ところで、思春期から成人になって、バランスを獲得した運動神経系も、何時
までも均衡が維持されるというのではない。年齢をとって来ると、それなりに
身体や、神経や、精神能力に、低下が起こってくる。個人差が大きいので、一
概には言えないが、加齢と共に色々な能力低下が起こってくる。
運動系もやはり低下してくる。ニューズで、八十歳ほどの方が、踏切を渡ろう
として、途中で転んで,立ち上がれないでいると、列車がやってきて、人身事
故になったという。あるいは別の事件かも知れないが、それを助けようと、線
路内に入った若い人が、巻き込まれてやはり事故にあったという。
これほどに極端ではないが、運動システムは、四十代には、二十代の全盛期に
較べて低下しているし、それ以降、段々と衰えが目立ってくる。

わたしは室内で、椅子に座っていることが多く、外に出て運動するというのが
あまりない。というか、この十年ほどで、かなり少なくなった。昔は、毎朝と
か、散歩に行っていたように思うが,最近はそれも稀である。

足の傷というのは、三週間ほど前に、久し振りに近くの公園の桜を見に行って
帰りに、少し小走りになったところ、身体のバランスが崩れ、倒れてしまった。
この程度のことなら、手で身体を支えれば、どうということもないが、体力も
衰えていたようで、右側の身体から倒れたので、右手を道路に付けて、身体を
支えようとしたが、何と言うことか、腕に力が入らない。右手、そして左手を
道路に付けて身体を支えようとしたが、支えにならなかった。
全体重が、右の膝に瞬間かかっていた。右腕に力があれば、それで支えること
ができたはずだが、そうはならなかった。道路は、かなり粗い煉瓦のような路
面で、やすりみたいだと思った。小走りだったので、進行方向にモメントがあ
る。単に何かでバランスを崩して倒れただけなら、こういう傷はできなかった
が、路面に付いた右膝が、煉瓦の表面を進行方向に擦っていた。

ハイソックスにスラックスなどを着ていたが、路面がやすりのようだというの
は、綺麗に穴が空いてしまっていた。膝のところの傷を見ると、3,4センチ
メートル四方ぐらいで、皮膚がすり切れて、真っ赤になっている。ところが、
不思議なことに、これだけの傷であるのに、出血がほとんどない。出血があれ
ば、スラックスなどに血がつくが、一切そういうものがない。
出血がなく、傷みもたいしてないので、とりあえず、コンビニでバンドエイド
を買って(薬局が近くになかった)、それを何枚も使って、傷口に応急処置を
した。(というのは、それから、電車に乗って、知人と一緒に別の場所に行っ
て、食事し、喫茶店になど行ったのである)。
帰りに、ドラッグストアに寄って、傷の手当てに必要なものを捜したが、結局、
傷全体を蔽うぐらいの大型のバンドエイドを買って来た。化膿止めの抗生物質
軟膏は持っているので、出血がないので、化膿止めを塗って、皮膚が自然治癒
するのを待つしかないと思った。

それで、先刻考えると、傷ができてからもう三週間以上経過している。しかし、
傷口は、なかなか治癒しない。無論、相当に治癒して、剥がれた皮膚は,大体
再生されてきているが、まだ、完全治癒には遠い。あと一週間ぐらいかも知れ
ない。いまは、もう大型のバンドエイドなどではなく、抗生物質の傷薬を塗っ
た後、1cm程度の小型のバドエイドを貼っているだけである(傷がかなり治
癒して、手当てする面積が小さくなっている)。

しかし、三週間たっても、治癒しないというか、少しずつ治ってはいるが、昔
に較べて、治癒が遅いのは事実である。

_

 

カウンターの位置の移動・今日は5月5日

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 5月 5日(金)12時38分43秒
返信・引用
 
これは、更新情報とかいうものではなく、Mirandaasのサイトのカウンターが
あまりにおかしく思えるので、修正を行いました。

LaCoocan に移動したのですが、LaCoocan では、ニフティがカウンターを用意
してくれないので、仕方なく shinobiカウンターというレンタル・カウンター
に切り替えました。

最初、Mirandaas の index.html というトップのページに、従来同様にカウン
ターを設置していたのですが、4月9日に、明示的な場所にカウンターがある
のは、どうも気になるので、カウンターの位置を別のページにしました。それ
以降、大体、一ヶ月が経過するのですが、そう頻繁ではなくとも、カウンター
の数字を記録していたが、どうも変だと思った。

何が変かというと、1月末に、シノビ・カウンターを設置して以来4月まで、
そんなに多くはないが、少しずつではあるがヴィジターがいて、カウンターの
数字は増加して行った。ところが4月9日にカウンターを別のページに移動し
て以降、カウンターの数字が、まったく増えない。一ヶ月が経過して、考える
と、4月9日以来、カウンターの数字からすると、訪問者ゼロということにな
ります。つまり、わたしの訪問の場合もカウンターは進むので、丁度、わたし
の訪問回数分程度しか、カウンターの数字が増えていない。

自分の訪問でカウンターの数字を増やすのも愚かなので、ページを更新した場
合などに、正しく反映されているか、確認のために訪問するぐらいなので、4
月9日以降、わたしが自分のサイトを見に行ったのは、十回未満です。

幾ら、Mirandaas の訪問者が少ないと云っても、1月以降、4月までは、少数
だが、訪問者はコンスタントにいた。それが4月9日以降、どうもゼロになっ
たように見える。それは流石におかしいので、shinobi カウンターは、もしか
して、indexに置かないとカウントしないのではないのか、あるいは、indexに
設置するよう、シノビ・カウンターを設定するとき、選んだのか。

理由は分からないが、これまでのニフティのカウンターは、どこに設置しても
問題がなかったので、シノビ・カウンターも同じだと思っていたが、どうも違
うようなので、今日、インデックスにカウンターを戻しました。

しばらく様子を見てみます。

----------

そういえば、今日は5月の5日で、子供の日です。3月3日が女の子の日で、
雛祭りとかがあるのですが、5月5日は、鯉のぼりを上げるのではなかったの
ではないかと、考える。

アニメ(と漫画)の『愛天使伝説ウエディングピーチ』では、プロタゴニスト
の花咲ももこの誕生日が、3月3日で、谷間ゆりの誕生日が、7月7日、珠野
ひなぎくの誕生日が、5月5日になっています。

1月1日は元旦、3月3日は雛祭り、5月5日は子供の日(端午の節句)、7
月7日は七夕、9月9日は重陽の節句(菊の節句)……このように、奇数月の
同日は、何かの節句になっています(五節句です)。では11月11日は何の
日なのか。明確な節句としては、ないようです。

_ Miranda

 

更新情報 2017-0503

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 5月 3日(水)12時32分1秒
返信・引用
 
さっそくですが、簡単な更新をしましたので、情報です。

これまでは、この程度のファイルへの追加等だと、更新情報にも入れなかった
のですが、掲示板の投稿数も増えるので、記します。

グノーシス主義基本用語集 Khoora Sophiaas
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/term-gn.html

内容の追加ではなく、画像を三つの項目に加えました。

「アイオーン」に、ミトラス教(または、ゾロアスター教起源)のアイオーン
(または時間の神ズルワーン)の画像を追加。
「ナグ・ハマディ写本」に、復元された写本装丁と、写本のなかの二葉の左右
の画像を追加。
「両性具有」に、ローマ時代(と思う)の大理石彫像の、横たわるヘルマプロ
ディトゥスの画像を追加。

この横たわるヘルマプロディトゥスの彫刻は、かなりよく知られたもので、色
々な写真画像がありますが、特徴をうまく写すことが難しい。

「両性(アンドロギュノス)」とは何かというのは、もう少し調べてからでな
いとよく分かりません。観念的に作り出した「両性」のイメージはあるのです
が、生物学的にはどういう位置付けなのか。(生物学的には、両性は実は存在
しないとも言えるのですが)。

----------

なお、Mirandaas の方で、「ミラディス夢幻詩葉集」というものを予告してい
るのですが、2017年になって書いた詩は、三編で、書いている途中にある
のが一編。三編でもよいので、ページを造ろうと思ったのですが、マーキャッ
プ・ランゲージとCSSを考えていると、先に進まないです。
2015年に書いた、ミラディス詩葉が16編ほどあるので、適宜、ここから
作品を写してくると、十編ぐらいの詩葉集にはなるのですが、htmlファイ
ルを造るのが難しい。

(ミラディス詩葉は、ギリシア・エジプト・ケルト・北欧・古代西アジアなど
が舞台として出てくる、何かよく分からない世界です)。

----------

これらとは別に、十年前からか、十五年前からか、もっと昔からか、ケルト神
話概説、ケルト神話紹介の文書を作ろうと考えて来たのですが、全然進まない
です。参考書の類は色々と入手したのですが、どこかに行方不明になる。


_

 

サイトの更新状態について

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 5月 3日(水)02時22分39秒
返信・引用
 
この掲示板「ソピアー」は、次の二つのサイトの共同掲示板になっています:

http://mirandaris.in.coocan.jp/   Khoora Mirandaas(コーラー・ミランダース)
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/   Khoora Sophiaas(コーラー・ソピアース)

これらのサイトについて、長い間、更新がなかったということがあります。
実際は、ときたまに更新していたのですが、あまり目立たないものだった。

時代は、ブログ中心となって久しく、更に、進化したSNSをベースにする人
も多数派をしめて来たとも言えます。

ブログの開設は、わたしも考えてはいるのですが、実際のところ、上記の二つ
のウェブサイトと、更にいま一つの別のウェブサイト、そしてこれは、ずっと
計画して準備しているのですが、いま一つのウェブサイトを造ろうとも,思っ
ています。
掲示板だけで、実際には、三種類のものに関わっており、この「ソピアー掲示
板」以外に、わたしが運営している掲示板が、いま一つあります。

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それはとまれ、実は、昨年2016年は、個人的にかなり重い年でした。この
年のあいだ、インターネット・ウェブサイト等は、ほとんど何もできなかった
し、それ以外の場でも、ほとんど何もできなかった。2016年はどういう意
味で重かったのか、何時か書く日もあるかも知れませんが。
2015年の半ば頃から、ウェブサイトを全面的、あるいは大きく、更新しよ
うと計画していたのですが、2016年にこの活動は停止しました。
オグドアス・アイオーンの模式図は、現在、サイトに公開した画像は、201
5年の秋頃に作成したもので、それと共に、説明用の画像なども作成したので
すが、2016年には、文章を作ってアップロードという訳にいかなかった。

2017年の4月頃になって、ようやくウェブサイトの方に時間をさくことが
できるようになったとも云え、この掲示板も、4月になると、急に投稿が増え
ていることになります。

ウェブサイトの大幅な更新、新しい次元での展開などを考えています。(他者
が閲覧しにくるかどうか、それは、モティヴェーションの一部ではあるが、別
に誰も見なくてもよいのではないかとも最近思います)。

ウェブサイトは実は、2017年になってから、細かい部分で変更や修正をし
ているのですが、「更新情報」というものを記していませんので、どこが、ど
う変わったのか、マイナーな変更が多いこともあって、更新情報を記さないた
め、何が変わったのか、分からないというのが実情です。

----------

そこで、というか、更新情報を、この掲示板に記すことを考えました。

更新情報ページを造り、そこに更新情報を書くというのは、幾らか手間のかか
ることになります。
他方、掲示板への更新情報の投稿は比較的に簡単で、しかもチェックしやすい
というのがあります。

更新情報は、マイナーなものなども、この掲示板に記すということを、いま、
考えています。

(ちなみに、Ptofile of Miranda というページは、今年に入ってから、3回か
4回更新しており、内容がごく少しづつですが変化しているというか、加わっ
ている内容があるのですが、これは、ページを見ても分からないと思います。
新しいページを造った場合は、分かりやすいですが、これでも分からない場合
がある)。

オー・ルヴワール

Miranda N.W. _

 

「思いである」変換

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 4月30日(日)05時16分11秒
返信・引用
 
別に、掲示板に書くような内容であるとは思えないが、ブログかツイッターのよ
うな感覚で、覚え書き的なメモ。

タイトルの「思いである」というのは、何か文章を書いていて、ワードプロセッ
サで変換すると、これまでは、「思いで或る」という変換結果が出て来た。この
「或る」が、動詞の「ある」の代わりに出てくるのはかなり頻繁で、非常にいら
だつことがある。

「おもいである」と入力して、これを変換すると、どう云う訳で、「思いで或る」
などという変換になるのか。「おもいで、ある」を変換して「思いで、或る」に
なるのは、文章的に自然だと思うが、読点があいだに入っていない文章で、変換
すると「或る」になるというのは、理解し難い。また変換候補に、「思いである」
というが出てこない。変換候補には「思いで或る」が出てくる。非常にうざいの
で、今回、「おもいである」の変換として、「思いである」を手動辞書登録した
が、最初、これは「ある」という動詞の拡張形だと考えればよいと思い、自動詞
5段で登録した。ところが、これで、「おもいである」を変換すると、再び「思
いで或る」になり、変換候補に「思いである」が出てこない。

そこで、もう一度単語等緑して,今度は、名詞として登録すると、「思いである」
が変換される。しかし、何かしていると、また「思いで或る」が変換で出てくる
ので、そんな変換を手動で設定する訳がないと思い、登録単語の削除を調べると、
自動登録で、「おもいである」から「思いで或る」というのが登録されている。
これで、何故、「おもいである」で変換すると、「思いで或る」が出て来たのか
分かった。自動登録の変換候補を削除すると、そういう変換は出なくなった。

ところで、ここで、そういう経緯を書いていて、「思いで或る」という言葉を入
力した。無論、一度の変換ではなく、「おもいで」を変換した後、「ある」を変
換して、こういう言葉の句を書いたが、どうも、これでまた、自動登録されたよ
うである。「おもいである」の変換候補に、削除したはずの語句がまた入ってい
る。大体、自動登録にある語句の登録はナンセンスなものが多く、邪魔にしかな
らない。変換辞書は、自分で作るのがもっとも合理的である。

AIというともっともらしいが、実情は、少し高度な知的判断が必要な状況では、
働いているのは Artificial Intelligence(人工知性)ではなく、Artificial Idiot(人
工白痴)というのが相応しい。

_ Miranda
 

コプト語とコプト文字

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 4月28日(金)10時15分32秒
返信・引用
 
コプト語と云うのは、エジプト語のことで、紀元前後、大体、紀元前数世
紀から、紀元後数世紀のあいだ、エジプトで使われていた言語である。コ
プト語は死語ではなく、現在もその末裔の言語をエジプトで使用している
人たちがいる。これはコプト・キリスト教会で使われる言葉で、アラブ語
の大海のなかの小島のような存在になっている。

エジプト語は、昔は「ハム語族」と呼ばれていた語族に属していたが、そ
の後、「セム語族」のなかの言語に分類されている。セムとかハムという
のは、大洪水を箱船に乗って生き延びたノアの息子たちの名で、結局、中
近東の古代語のグループが、ハムとかセムの名で呼ばれている訳である。
中近東の古代語には、印欧語族のものがあり、それと、所属不明な、消え
去った言語がある。

遙かな昔に、荒井献の『原始キリスト教とグノーシス主義』を読んでいる
と、どうも、『ナグ・ハマディ文書』のなかの写本において、コプト語の
テクストのなかに、ギリシア語の単語が書き込まれているように読めるの
で、不可解だというか、何がどうなっているのか、疑問を抱いたことがあ
る。荒井献は、サヒディック方言のコプト語が自由に読め、『ナグ・ハマ
ディ文書』の写本については、おそらく、ファクシミリ版で実際に写本で
は、どう書かれているのか、見て、理解した上で述べているので、何の不
思議なこともなかったのかも知れないが、コプト語のテクストの見本でも
写真版で本についていれば、このときに感じた疑問は、即座に解消したの
だが、そういうものはついていなかった。

『ナグ・ハマディ文書』の写本は、元はギリシア語で書かれていたテクス
トを、コプト語に翻訳し、コプト語のテクストを写本にしたものである。
コプト語は印欧語ではなく、セム語族に属する、紀元前後のエジプト語で
ある。こういう知識前提があると、コプト語のテクストのなかに、ギリシ
ア語の単語が入っているというのは、非常に不思議なことに思えた。
1980年代、1990年代だと、わたしの個人的な知識範囲では、「セ
ム語」としては、ヘブライ語、アラブ語、そして古代エジプト語が、どう
いう文字で表現されていて、どういう文法の特徴を持っているのか、ごく
ごく初歩的な知識はあったが、詳細までは知らなかった(いまでも、よく
知らないが)。1980年代だと、少なくと情報資料として、ヘブライ語
とアラブ語は、文法書と辞書を持っていたし、古代エジプト語は、文法書
兼辞書になる、かなり大きな参考書を持っていた。

ヘブライ語のアルファベットは、かなり覚えやすく、区別することができ
たが、アラブ語のアルファベットは、人工的に字形を整理した結果だと思
うが、非常に覚えにくかった。いや、覚えても、すぐに忘れてしまうので、
迷惑な言語だと思った。アラブ語のアルファベットは、三回記憶して三回
忘れたので、四回目は、覚え直すことはもうやめた。アラブ語のアルファ
ベットが記憶しにくいのは、元々のフェニキア文字からすると、違った字
形であった文字を、形を省略することで、まったく同じ字形にして、これ
を区別するのに、子音点という、点(ドット)を、子音文字の上とか下に
付けるか付けないかで区別したので、全然異なる子音が、同じ字形をして
いると云うことになって、識別の差異性が曖昧になっている。

例えば、Rの子音を表現するラーと、Zの子音を表現するザーイが、アラ
ビア文字では、同じ文字になる。ラーの上にドットを一個付けると、これ
が、ザーイの子音の文字になるが、フェニキア文字では、違った字形の文
字であった。ギリシア文字でも別の字形だし、ヘブライ文字でも、字形は
違っている。ラーに当たるヘブライ文字はレーシュであり、ザーイに当た
るヘブライ文字はザインで、レーシュとザインは、確かに字形が似ている。
しかし、似ているということで、実際には違った字形の文字である。とこ
ろが、アラビア文字では、ラーとザーイは,完全に同じ字形の文字で、点
があるかないかで、文字を区別する。一見シンプルで、区別しやすく思え
るが、実際は、覚えにくく、区別しにくい。ひらがなは、かなり複雑な字
形をしていて、覚えにくいとも言えるが、一度覚えると、忘れると云うこ
とは、あまりない。個々の字形が冗長性を持っているので、それだけ、識
別性のための情報エントロピーが低くなっている。アラビア文字は、印刷
字形において、すでに、文字識別の情報エントロピーが非常に高い(情報
エントロピーは、大きければ大きいほど、混沌性が増す。エントロピー最
大とは、ランダムということで、いかなる識別も不能になる)。
とはいえ、どんな文字でも、筆記体があって、慣用の簡略筆記体があると、
情報エントロピーは高くなってくる。

エジプト語は、それを表記する文字としては、象形文字(神聖文字・神聖
象形文字)、神官文字、民衆文字の三種類が歴史的に並列してあったが、
この順序で語形がシンプルに抽象的になってくる。また、古代エジプトで
使われていた文字と、中エジプト、新エジプト、そして末期時代や、ギリ
シア人の王朝であるプトレマイオス王朝で使われていたエジプト文字では、
時代が下るにつれ、使用される文字が段々少なくなってきて、プトレマイ
オス朝だと、それは表音文字になり、更にアルファベットになっている。
ロゼッタ石に刻まれていたエジプト語の文字は、形の上では、古代の神聖
象形文字と同じであるが、これはアルファベットになっている。アルファ
ベットになっていた故、固有名詞を比較すると、個々の象形文字の音価が
判明した。

紀元前一千年代や、それより古い時代に使われていたエジプトの文字は、
非常に煩瑣であるが、表意文字であって表音文字であり、漢字に似た所が
あるが、漢字よりも柔軟性が高い。しかし、神官文字や民衆文字だと、記
号文字という感じがするが、象形文字だと、文字通り、「絵文字」に見え
る。(象形文字は幾つぐらいあるのかというと、昔、古代エジプト語の文
法書兼辞書で、文字一覧があるので、そこで数えたのでは、5,6千文字
だったような記憶があるが、一文字づつ数えたのではなく、このページに
ある文字が幾つで、そういうページが三十ページくらいであるので、全体
で何文字ぐらいというような概算見積もりだったと思う。あるいは、文字
に番号が振られていたような気もするが、はっきりしない)。

ところで、コプト語の話で始まっていたのであった。コプト語というのは、
紀元以降のエジプト語と考えてよく、コプト文字は、コプト語を表現する
ために、発明された文字である。発明されたと云っても、ギリシア語アル
ファベットを元にしていて、コプト語にある音で、ギリシア文字では、そ
れを表現する文字がないとき、コプト文字に固有な文字を造った。しかし、
文字としては、ギリシア文字の変形のような感じであるので、コプト文字
のテクストのなかに、ギリシア文字が入っていても、それほど不自然な感
じはしない。
『ナグ・ハマディ文書』の写本は、コプト語で書かれていて、コプト文字
で記されているが、そのなかにギリシア語の単語が、ギリシア文字で書か
れて、含まれていると云うことである。

_ Mirandaris


ウェブサイトは次にあります:

http://mirandaris.in.coocan.jp/   Khoora Mirandaas(コーラー・ミランダース)
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/   Khoora Sophiaas(コーラー・ソピアース)

 

Vedanta Sara

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 4月24日(月)06時12分6秒
返信・引用
 
タイトルが、「Vedanta Sara」で、ラテン文字になっているが、これは、
日本語でカタカナで書くと、「ヴェーダーンタ・サーラ」となる。元々、
サンスクリット語かヒンディー語である。

平楽寺書店から、1962年に中村元訳注で、原文・翻訳対照で出版され
た本が元々、わたしの知っている本である。

中村元訳注『原文対訳 ヴェーダーンタ・サーラ』というような題の本とし
て、日本で出版されていた。「原文対訳」というのは、サンスクリットと
思われる原文が印刷されていて、その日本語訳と訳注を中村元先生が行っ
ている。

何故この本のことが急に思い出されたのか。何がきっかけだったのか。実
はわたしはこの本は持っていない。ただ、日本語訳と註記の部分を、部分
的に読んだ記憶がある。現在は、そういう言葉は使っていないが、例えば、
1979年に書いた『スターサファイヤの進化』という話では、そのなか
に、「トゥリヤ」という言葉が出てくる。トゥリヤを使わなくなったのは、
自分で何のことか意味が分からなくなったからである。

印度思想辞典などで調べると、意味が分かったのかも知れないが、昔には
インターネット等がなかった。大学の図書館に行けば簡単に調べられるこ
とでも、個人の立場では、なかなか調べることができなかった。専門的な
書籍は、個人が趣味で購入するには、あまりにも高価であった。つまり、
「トゥリヤ」という言葉・概念は、中村元先生の『原文対訳ヴェーダーン
タ・サーラ』のなかに説明があった言葉で、1979年頃には、まだ、そ
れがどういう概念か記憶があって分かっていた。しかし、使わないでいる
と、段々記憶が薄れ、本を読み直すこともできないので、言葉は識ってい
るが、どういう意味だったのか、あやふやになって、使えなくなったので
ある。

記憶であるが、『ヴェーダーンタ・サーラ』は、ヴェーダーンタ思想につ
いての入門書的概説書で、他のインド哲学関連の本では、あまり聞いたこ
とがないような、整理された内容が記されていた。「自我の四位」という
概念があり、そのなかの一つが、トゥリヤと呼ばれる状態であるが、この
「四位」が、実に色々な事柄や概念などに適用されている。例えば、「ヒ
ラニヤ・ガルバ」というのは、『リグ・ヴェーダ』に出てくる、「黄金の
胎児」という意味の一種のアートマンの状態であるが、ヒラニア・ガルバ
も、四位の一つとして出て来ていた。(この「四位」は、キリスト教の三
位一体の「三位」とは何の関係もない概念である)。

昨日から今日にかけて、この本を思い出したので、検索で調べて見ると、
まず、古書として、ある通販サイトで、10万円の値がついている(ただ
し、売り切れであるが)。アマゾンJPにも古書として登録されているが、
マーケットプレースでの出品はない。別のサイトで調べると、古書店、5,
6店舗で販売していることが分かったが、最安値が、一万円で、状態説明
を読むと、何かぼろぼろのような状態である。2万円から4万5千円ぐら
いまで販売されていたが、4万5千円でも、アマゾン・マーケットプレー
スの評価で云う、「可」の状態で、ともかく状態がよくない。

中村元先生の訳注の対照本は、あまりに高価なのと、2万円、4万円出し
ても、いたんだ本しかないようなので、これは諦めるしかないと思った。
もしどうしても、見たい場合は、大学図書館が所蔵しているので、そこか
ら借り出せば閲覧はできる。

もう少し楽な方法はないのかと思った。中村元先生の本が稀覯書になって
いるのはサンスクリットとの対照本であるからであるが、訳だけのものは
ないのだろうかと考えた。あるのではないかとも思うが、しかし、サンス
クリット(多分)との対照本というのは、ヴェーダーンタ思想を原文で学
び研究しようという学生のために、こういう本を出しているので、入門書
でもあるが、高度な学術書でもある。つまり、ヴェーダやウパニシャッド
に較べると、翻訳されている可能性はかなり低いと思われる。需要がそも
そもないと言える。この本を読む必要があるのは、サンスクリットが読め
るような人で、そういう人は翻訳を必要としないのである。

しかし、英語の翻訳ならあるかも知れないと思った。オットー・ヴァイニ
ンゲルの『性と性格』も、いま中古書として売られているのは、8千円か
ら1万円以上の値がついている。こんな本に1万円もお金を出す気にはと
てもなれない。そこで、英語の翻訳を注文したが、来月か、再来月、つま
り、6月頃に届くはずであるが、それまで生きているのだろうか(そんな
ことを、最近よく考える)。

『ヴェーダーンタ・サーラ』も、英語の翻訳があるのではないのかと思っ
た。少なくとも、日本語の翻訳はアマゾンにはなかった。アマゾンには、
中村元先生の本が出てくる。他にもあるなら、それが出てくるはずである。
そこで、日本語版アマゾンは諦めて、amazon.comで検索すると、次の本が
出てくる:

https://www.amazon.com/dp/8175051108/

この本は、わたしが検索したときには、一冊在庫があって、プライスが、
約4ドルだった。4ドルは安いので、オーダーまで進めると、何と、配送
と手数料が900円ぐらいかかり、合計1,350円だという。来月の半
ば頃までに届くようであるが、不確かである。(いまも、マーケット・プ
レースでの在庫は、中古・新本とあるが、わたしが注文したのはアマゾン
・コムで、ここなら発送はまず確実だと思う)。

ところで、この本にはレビューが一つあり、評価が☆2である。かなり低
い評価であるが、本を注文した後で、レビューを読んだ。あまり参考にな
らない。どうもこの本は、インドで印刷出版された本のようで、特殊なイ
ンクが使われていて、あまりに酷いの、苦情を言ったら、別の本と交換し
てくれたが、その本はもっと凄い酷い本で、部屋においていると、発狂し
そうになる(とは云っていないが、結構長いレビューであるが、3分の2
か、4分の3までが、インクのにおいが酷いというのと、製本段階での頁
の合わせ方と本の裁断が無茶苦茶だとか、内容に関係のない、不満が書き
連ねられている。しかし、インドの本がすべて、こんな酷いインクのにお
いがする訳でもないようである)。内容についても書かれているが、過去
にインド思想関連の本を読んだことがあるが、この本の書いていることは、
理解が難しい、訳が分からないというような感想を述べている。(確かに
分からないのではないかと思う。また、1931年の翻訳なので、英語自
体が、いまと違っているのかも知れない。翻訳者がインド人であるという
のも、難しい理由かも知れない)。

このレビューを読んだ後、調べると、もっと新しい出版の本がある。

https://www.amazon.com/dp/1110330995/

2009年の出版であるが、本の説明の冒頭に、1923年より古い、歴
史的書籍のリプロダクションだと書かれている。リプロダクションという
のは、スキャンか焼き付けコピーか、方法は不明だが、昔の本を、複写し
て、印刷したという意味で、新しくテキストを翻訳して、タイプセットし
たのではない。リプロダクションは、あまり望ましくない。18世紀の貴
族で、ルイ14世の弟である、オルレアン公爵の寵臣であったアベ・ド・
ショワジの自伝の一部のリプロダクション版を持っているが、文字が潰れ
たり、消えたり、印刷が不自然であったり、かなり酷い。

(もう一冊、Vedanta-Sara というタイトルの英語の本があるが、つまり、

Vedanta-Sara Or Essence Of The Vedanta: An Introduction Into The
Vedanta Philosophy (1845)
Aug 26, 2009 by Sadananda Parivrajakacharya and Edward Roer

これは、元の本は、1845年の出版のように思える。中村元先生の対照
本の元のテクストは、サダーナンダという人のものであるが、上の本は確
かにサダーナンダという名になっているが、インクが酷いにおいで、毒が
あるとかレビュアーが云っている本の著者は、Sadananda Yogindraで、英
訳もインド人が行っているが、上の本は、Yogindraではない。また、エド
ワード・ロアは、翻訳者ではないかと思えるが、2009年版のリプロダ
クションの本の関係者に思える)。

1931年の翻訳だとか、1923年以前の歴史的書籍からのリプロダク
ションとか、ろくなものがないが、1931年翻訳の本を待つことにしよ
う。しかし、30年以上忘れていた本を、いま急に思い出すのは何が引き
金だったのだろうか。冷静に考えると、きっかけを思い出すかも知れない
が、いまは、分からない。

--------------------
添付画像:

1:上の画像:毒性インクで印刷されているとか云う、1931年の本
2:下の画像:Edward Roer の名が出てくる(多分)別の本

Sadananda の Vedanta-sara は、130頁ほどあるが、下の表紙の本は、
40頁ほどかしかない。中村元先生の訳注本は、182頁なので、40頁
しかない本は異なると思う。

_ Miranda

 

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