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フライング・シーウィード

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2018年 2月22日(木)18時42分17秒
返信・引用
 
近年、著名なある小説を読んでいると、最初の方で、「フライング
・シーウィード」というルビが出て来た。これ自体は、それほど異
様な言葉ではない。このルビは、「空飛ぶ海苔」についているルビ
で、「空飛ぶ海苔」とは、はて面妖なと思った。

フライング・シーウィードは、「空飛ぶ海草」ではないのかと思っ
た。「海苔」も海草には違いないが、イメージとしてよく分からな
いし、「空飛ぶ海苔」なら、別の言葉があってもよいように思う。
この作品の一人称登場人物は、アメリカ人で、文化背景も、アメリ
カそのものようである。

もう少し読むと、「フライング・シーウィード」というのは、どう
いうものかの描写というか説明がある。スティルス性を高度にたか
めるため、真っ黒な、平たい、薄い四角形をしている。なるほど。
そんなものが空を飛んでいると、見た目、たしかに「空飛ぶ海苔」
になる。この「海苔」は日本で朝ご飯などに出てくる、味付け海苔
のことだと思えばよい。海苔といっても、かなずしも、平たい、ぺ
らぺらの長方形をした、味付け海苔とは限らない。佃煮の海苔もあ
るわけである。

この主人公はアメリカ人である。いくらか日本文化について知って
いるようで、朝食に出てくる「味付け海苔」を知っていても不思議
はないかも知れない。しかし、それだと、個人的なネーミングにな
る。

しかし、どうも英語では、海苔も海草一般も、seaweed と呼ぶよう
である。日本や日本語が、海洋文明・文化であるため、海産物など
の名称が細分しているのかも知れない。さかなの名が多いのも日本
の文化の特徴だから。しかし、個人的には、フライングシーウィー
ドというと、長大なこんぶかわかめのようなものが、気流のなかで
ゆらゆら揺れながら飛んで行くイメージがある。(そちらの方が、
シュールな気がしたが、空飛ぶ味付け海苔も、けっこう、シュール
なイメージである)。

_

 
 

東アジアの情勢

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2018年 1月11日(木)23時47分59秒
返信・引用
 
現在の日本では、空想平和主義を信仰している反日左派の人々と、
歴史修正主義空想右翼崇拝の人々が、一種の「宗教」を信奉して、
現実の世界の状況を見ようとしない状況がある。現在の東アジアに
おける状況をどのように理解して未来を考えるのか、空想反日左派
も、宗教妄想右派も、冷静なスタンスになって、事実認識を得るこ
とではなく、願望を投影した世界把握を行っているとしか思えない。

何が起こっているのか彼らには「見えない」ようにも思える。左も
右も、硬直したドグマに束縛されていると云ってもよい。

東アジアの目下の情勢では、中国の動向が重要であるが、中国につ
いては、党中央政府自身が、自国の現状についての客観的な状況資
料を把握していないように見え、外部の人間には、それ以上に、実
情が分かりにくくなっている。

朝鮮半島の状況については、昨年末の十一月から十二月には、米国
と北朝鮮のあいだで戦争が勃発する可能性が感じられたが、年を越
えてみて、かなりはっきりしてきたのは、米朝戦争は起こらないだ
ろうという可能性である。アメリカは北朝鮮を電撃攻撃して、体制
転覆を実行する意志はないように思える。

仮に、米国が北朝鮮と戦端を開くとすれば、それは昨年の末、十二
月頃が戦略的に好機であった。その時点でアメリカには、莫大な被
害の出る電撃戦争を実行する意志はなかったことになる。北朝鮮は
米国に向けて核ミサイルの発射にせよ、他の形態の攻撃であろうに
せよ、実行する意図はない。ただし、米軍が北朝鮮を実際に攻撃し、
指導階層の生命や体制そのものが破滅する事態になれば、核ミサイ
ルにせよ、生物兵器にせよ、アメリカに対し報復攻撃を行う可能性
はあった。しかし、現時点の状況まで来ると、アメリカが北朝鮮を
攻撃する可能性はほぼなくなったとも思え、韓国での冬季オリンピッ
クに北が参加を表明したことは、アメリカによる戦争はないと確信
してのことだと思える。

南朝鮮すなわち韓国政府は、慰安婦問題を蒸し返し、更に、日韓の
基本条約を廃棄することを意図しているが、韓国国民は、そのよう
な方針が、日韓関係の悪化を招来すると云うことよりも、むしろ、
この政治方針は、結果的に韓国国家の消滅をもたらすということを
自覚した方が妥当である。日本国民が、左右にあって、空想の日常
を信じているのと同様に、韓国国民も、国家の状況や国際状況が分
かっていないとしかいいようがない。

アメリカは北朝鮮を核保有国として認める予定である。公言はしな
いが、核保有国となる道筋を進んでいる北朝鮮に対し、実力行使し
ないのであれば、それは結果的には、北朝鮮の核保有を承認すると
いうことになる(中共は、北朝鮮の核保有を早くから認めている。
ロシアもまた承認しているのであり、もし、中共やロシアが北朝鮮
の核保有を認めない方針であった場合は、核開発を阻止する手段は
幾らでもあった。国連安全保障理事会が、幾度も北朝鮮の核廃棄を
決議しても、核開発がより一層進行すると云うことは、中国とロシ
アがバックアップしているとしか考えられない)。南朝鮮のムン政
権は、北朝鮮との統一国家としての朝鮮連邦を夢見ているか、また
は中国が統一連邦の成立を約束している可能性があるが、ムン政権
の望む通りの結果にはならないと思われる。

中国は朝鮮半島を自国の領土に加えることはしない。属国として支
配下に収めるであろう。在韓米軍は撤退し在日米軍も将来的な撤退
を前提に規模縮小し、米軍はグアムに後退すると思われる。大韓民
国は、形だけ独立国として残っても、政府は中共の下僕となり、国
民は、三級人種として、中国人の前に土下座する運命となるであろ
う。現在の韓国の親北勢力も、保守親米勢力も、いずれも、中国の
威光の前土下座する奴隷階層の民族とされるであろう。

これは、2020年代半ばには起こりえるシナリオである。そのと
きに、日本と日本国民はどのような立場になりえるのか。中国は日
本に対しては、絶滅させることが基本方針になる。日本の空想平和
主義の左派グループは、中国の奴隷となって、土下座すれば、中国
は日本を属国として認めてくれると考えているかも知れないが、日
本の文化や日本人が危機状況で発揮する力には畏るべきものがあり、
このような日本は、文化を徹底的に滅ぼし、誇りを持つ日本人を大
量虐殺して屈服させるという方向しかない。

これは、今後十年のあいだに東アジアで起こりえる事態の想定シナ
リオである。
朝鮮半島は、どの方向に進もうと、地獄に落ちることはまず間違い
ないが、日本列島は、中国による絶滅攻撃を受ける前に、あるいは
受け始めてはじめて反撃が行われると、違った未来のシナリオが想
定されるようになる。

中国は、この未来十年か十五年ほどの期間のどこかで、内部矛盾の
拡大により、内戦そして内部分裂に陥って国家崩壊する可能性があ
ると思える。欧米の歴史学者や政治学者は、中国の国家統合や国力
を、過大評価する傾向がある。

この一年にあって、国家主席習が、実質的に政治指導者として、ほ
とんど何の実績も持っていないにも拘わらず、自己を独裁皇帝のよ
うに喧伝し、皇帝であるかのごとく振る舞い始めたことは、中国の
内乱か内戦、国家崩壊の勃発の可能性を示唆しているようにも思え
る。マオ・ツァートンや Deng Xiaopingは独裁者と云ってもよいだ
けの実力と実績を持っていた。だが彼らは、皇帝としては振る舞わ
なかった。隠然たる「影の皇帝」であったが、皇帝として表には出
なかった。

権力基盤がなお不安定であるにも関わらず、独裁者として皇帝の振
る舞いを始めたシー・チンピン(Xi Jinping)は、中国の国家分裂
・崩壊の前兆のようにも見える。あるいは国家崩壊しないかも知れ
ないが、シナリオ的には、では中国はどうなるのか、という困難な
問題が出てくる。

この未来十年あるいは二十年において、東アジアには烈風が起こり、
怒濤のごとき政治的軍事的緊張や混乱や、事実上の動乱が起こる。
アメリカは東アジアの情勢に介入しないと予想され、ロシアは、中
国と東アジアの混乱に乗じて、侵攻を意図するかも知れないが、ロ
シア自体も、賢明な強権支配者プーティンは、十年後にはその権力
の座にいない。ロシア自体が、この未来十年において、内部的な動
乱に見舞われる可能性が高い。

日本は、不確定ではあるが、動乱の過激な時代となることは恐らく
間違いのない、この未来十年、二十年を、どうやって乗り切るのか。
ライヴァルを根絶することを意図する中国によって、列島全体が、
核兵器で消滅させられるのか。朝鮮半島の動乱や、中国の内乱にお
いて起こる混乱に巻き込まれ、国家がなかば解体状態になるのか。

アメリカは明らかに東アジアから撤退し、南北アメリカ大陸の盟主
として栄光ある孤立のなかで、経済的な繁栄を維持しようと試みる。
中国は、軍事力を幾何級数的に増大させ、東アジアの支配帝国とし
て、太平洋東部領域と東南アジア全域に支配を及ぼそうと現に、侵
略を行っている。南シナ海や東シナ海で中国が現在行っていること
は、領土拡大や支配拡大を意図して計画的に進めているという以外
に、どういう解釈がありえるのか。

わが日本国は、どう対応すればよいのか。きわめて可能性が高いの
は、中国は、日本民族や日本文化を絶滅させようと意図しているこ
とである。

_

 

スワン

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2018年 1月10日(水)03時01分50秒
返信・引用
 
「スワン」というのは、英語だと、swan で、白鳥のことである。ドイ
ツ語では、Schwan というような言葉だったと思う。「シュヴァーン」
であるが、発音における音韻変化の結果で、基本的には同じ言葉が元に
なっている。ラテン語では、キュグヌス(cygnus)だったと思う。フラ
ンス語の単語は、ラテン語から来ており、英語で、シグネットという単
語があるが、これはキュグヌスに指称辞の -ett が付いた形である。

(と思ったが、調べて見ると、ラテン語では、別の単語が出てくる。し
かし、Cygnus で白鳥座である。ギリシア語のキュクノス(kyknos)が
ラテン語化したのか、ラテン語にも、同じ語根の言葉があったと思える。
ラテン語では、olor という言葉が出て来て、あまり聞いたことがない
ので、意味を調べると、「におい」という意味だそうである。よく分か
らないので、wiktionary で調べて見ると、古代のラテン語では、olor
は白鳥で、後期ラテン語・通俗ラテン語では、「におい」の意味になる
ようで、odor の変形で、こういう意味が出て来たのだという)。

それは、横道の話で、本題の話はもっと簡単である。フランシス・バー
ネットという女流作家に、日本語訳の定番タイトルで『小公子』『小公
女』と訳される物語がある。それぞれの英語での原題は、Little Lord
Fauntleroy が「小公子」で、Little Princess が「小公女」である。
Lord Fauntleroy は「フォントルロイ卿」で、「小さなフォントルロイ
卿」というのが原題の意味である。「小公女」は、文字通り、「小さな
プリンセス」なので、「小公女」になる。フォントルロイ卿というのは、
セドリック・エロルが継承した貴族の爵位称号であるが、多分、これは
子爵位である。ドリンコート伯爵家の筆頭継承者がこの爵位を名乗ると
云うことは、ドリンコート家がフォントルロイ子爵位を持っているとい
うことである。

(イギリスの貴族の場合、男爵家は別だが、子爵、伯爵、侯爵、公爵な
どの爵位を持つ家は、普通、二つか三つか、それ以上の爵位を同時に持っ
ている。婚姻関係を通じて、爵位が集まって来る場合があるが、その前
に、王族公爵以外は、普通、下から段々と上に上がって行く。軍人や政
治家で功績があると、まずナイト爵位が授けられ、更に功績があると、
男爵が授けられ、更に功績があると、子爵が授けられ……と、順番に上
位の爵位になって行く。イギリスの爵位は、日本の明治維新後の華族の
爵位とは違い、ある「家・個人」に爵位が授けられるのではなく、例え
ば「グレイ伯爵」という伯爵位だと、こういう名前の「伯爵位」を創立
し、新しい爵位を、ある功績のあった人物に授ける。「爵位」というの
は、形のない一種の財産のようなもので、ある人物が授かった爵位は、
その財産と共に、継承者に受け継がれる。ある人物がいて、功績があっ
たので、プライム男爵という爵位を授けられると、その人は、プライム
男爵になるが、更に功績があったので、セクンダ子爵を授けられた場合、
この人は、セクンダ子爵兼プライム男爵というのが実は正しい。更に功
績があって、トリニト伯爵を授けられると、トリニト伯爵兼セクンダ子
爵兼プライム男爵になる。一番高い爵位で、その人は呼ばれるが、トリ
ニト伯爵家は、トリニト伯爵位の他に、セクンダ子爵位、プライム男爵
位を持っている。男爵から子爵に昇進し、子爵から伯爵に昇進しても、
過去に授けられた男爵位や子爵位はなくならない。一般に、爵位の継承
者、通常、長子が、二番目の爵位を名乗る。つまり『小公子』の場合、
ドリンコート伯爵家は、フォントルロイ子爵位を持っていて、継承者で
あるセドリックが、この爵位を名乗って、フォントルロイ子爵となって
いる)。

横道の話だと云いながら、ますます横道に逸れて行く。これは「スワン」
についての話である。

フランシス・バーネットの『小公女』を、何十年振りか、十年振りか、
久し振りに読み返してみると、(後半三分の一ぐらいであるが)、バー
ネットは話の造り方が天才的に上手だとつくづく思った。どことなく、
道徳説教的な雰囲気があるが、こういう書き方や話になって仕方ない時
代背景があるのだろう。

それはとまれ、訳者解説を読んでいると、作者は、フランシス・エリー
ザ・ホジスン・バーネット(Frances Eliza Hodgson Burnett)だとあ
る。男性の Francis と、女性の Frances を区別するため、わたしだと、
フランセス・バーネットとカタカナで書くが、それはともかく、ミドル
ネームが二つあるので、珍しいとも思ったが、解説を読んで行くと、元
々の名前は、フランセス・エリーザ・ホジスンで、スワン・バーネット
という医者と結婚して、姓がバーネットに変わった。彼女は、スワン・
バーネットと別れて、元のホジスンに帰ったが、そのまま、バーネット
いう姓を使い続けたので、今日、フランセス・バーネットとして知られ
る。

ここで、フランセス・ホジスンが結婚した、スワン・バーネットいう名
前を読んで、どこかで聞いたことのある名だと思った。ファンタジー作
家に、そういう名前の人がいた記憶がある。しかし時代がだいぶ違って
いるのと、その作家は、考えてみて、トマス・バーネット・スワンだっ
たことを思い出した。この場合のスワンは、綴りが、Swann で、白鳥の
スワンとは少し違うが、音の上では、白鳥という意味である。

白鳥というのは、日本人の姓で、そういうのがあったように思うし、名
前だと、正宗白鳥という文筆家がいた。しかし、トマス・バーネット・
スワンというのは、ファンタシー作家として、ロマンティックで綺麗な
名だとむかし思った。確か、妖精が出て来たり、神話的な存在が出てく
る作品の作者だったと思ったが、作品が思い出せない。アマゾンで調べ
て見ると、『薔薇の荘園』と『ミノタウロスの森』の二つしか訳本がな
い。

アマゾン・アメリカで調べて見ても、単行本としては、五、六冊しかな
い。寡作な作家である。『薔薇の荘園』は中編三篇を集めたもので、長
編作品ではない。『ミノタウロスの森』は、多分、長編だと思う。この
作品に対応する英語の本は、The Forest of Forever と Day of Minotaur
の二つがあるが、どちらの翻訳なのだろうか。また、わたしは昔、森に
住む若いミノタウロスを主人公としたファンタシーの本を部分的に読ん
だ記憶があるが、あれはトマス・バーネット・スワンのものだったよう
な気がするが、どうも英語の本の二冊とも、話が違っているように思え
る。誰か別の人の作品なのだろうか、と思う。(タイトル的には、The
Forest Forever ではないかと思うが、話が少し違うような感じがする)。

トマス・バーネット・スワンの名で思い出したのは、『最後のユニコー
ン』という作品であるが、多分、スワンの作品ではないだろうと思って
いたが、調べると、ピータ・S・ビーグルである。確かに、ピーター・
ビーグルが作者だった。
何時頃のことだったか。ある出版社が、ファンタジーの現代・過去の傑
作を、ペーパーバックで発行していた。このシリーズは、表紙が非常に
美しく、この絵を描いていた画家の画集を手に入れたはずである。非常
に美しい画集で、特別な場所にしまっていたが、思い出すと、過去三十
年近く、見ていない。過去二十年間かも知れない。捨てたことはない筈
なので、どこかにあると思うが、どこなのか。

『小公女』のフランセス・エリーザ・バーネットに戻ると、バーネット
がこういう話を書いていた時代は、社会が暗い面を多数持っていたし、
今日に比較して、色々な面で不公平で、また厳しい時代であったと思う。
しかし、貧しく厳しい時代であり、社会であったが、どこかに夢があっ
たとも思える。この「夢」というのは、「未知の土地」がまだまだ無限
にあると、確信できた時代だということである。現代においても、実は、
「未知の土地」あるいは「未知の領域」は無限にあるが、人々も社会も、
「未知なること」に対し、関心を抱かなくなった時代のように思える。
きわめて皮相な「現実主義」が横行している時代だと思う。

(それにしても、ピーター・ビーグルの『最後のユニコーン』のアマゾ
ンのページを見ていて、ふと、中古本価格を見てみて、驚愕した。文庫
本で、5700円から5800円もしている。単行本は、3200円ぐ
らいであるが、無茶苦茶に高いとも思う。この文庫本は、昨年10月末
にオークションで、150円で落札したが、こんな値が付いているのか
と思う。このあいだ、ある知り合いに、何か面白い本はないかというの
で、『ジェニーの肖像』とか『愛はすべての上に』などを紹介したが、
ダフネ・デュ・モーリアの処女長編である『愛はすべての上に』は、中
古品で、8千円から1万円の値が付いているので、そんな金額の本では
ない、と記しました。そこまで出して手に入れるほどの本ではないとい
う意味です。何か無茶苦茶な値が付いている)。


----------
添付画像
上の絵)ピーター・S・ビーグル『最後のユニコーン』表紙
下の絵)トマス・バーネット・スワン『薔薇の荘園』表紙

ビーグルの絵は、英語のペーパーバックの本の絵をそのまま転用してい
るようです。こういう絵で、ファンタシーのシリーズが出版されていた。
『薔薇の荘園』は萩尾望都の絵ですが、彼女の絵は、スワンの作品には、
似合わないと思う。

_

 

「夢のヴェネツィア」

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2018年 1月 6日(土)09時10分34秒
返信・引用
 
新しい年となりました。あるいは、新しい「春」が訪れたとも。

「夢のヴェネツィア」というのは、「ヴェネツィアへの道」と云う名
の絵があり、ここから派生しています。
そういう名の絵を他の人も描いているかも知れませんが、ここで云う
「ヴェネツィアへの道」は、わたしが30歳頃に描いた水彩画です。

この頃は水彩画を描いていたというか、絵に着色するとき、水彩が手
軽であったということです。この十年ぐらい、昔のような水彩はない
のかと捜しているのですが、絵の具の種類が大きく変化してしまって、
アクリル絵の具とか、何かよく分からない。

それはともかく、「ヴェネツィアへの道」という絵は、これは、夢で
何かを見て、それを絵に描いて、着色したのだと思う。
この絵は、割と小さな絵であるが(B5の紙に描いているはず)、い
までもどこかにあるはずである。当時としても、下手な絵だとは思っ
ていたが、いま描く絵よりは、ましな絵のはずです。(昔は、ほぼ毎
日、絵のスケッチとかしていて、いまよりデッサン力があった)。

絵柄は、半分裸身に近い(ただし、何かローブのようなものをまとっ
ていたはず)青年が、緑の葉のついた杖を持ち、真っ暗な洞窟から出
て来ている情景である。真っ暗な洞窟は、この人物を囲んで、洞窟の
出口の縁が周りに描かれていることで表現されている。そして、この
人物の前には、高い山から見晴らしたような眺望が開けていて、足下
にある地面から、連続しているように、左右に曲がった長い小径が、
眺望のなか、遙かな下方へと続いている。そして、この道の先に、幽
かに都市か邑のような構造があって、道はそこへと続いている。この
遙かな都市、しかし、歩けば、すぐ到達できるような感じの都市が、
ヴェネツィアと呼ばれる。

歴史的に、およそ二千年前頃から造られ初めて、中世から近世にかけ
て、海洋国家として名をはせたヴェネツィアと同じ名であるが、この
絵の「ヴェネツィア」は、スペインと同盟して、オットーマントルコ
をレパントの海戦で打破したヴェネツィアのことではない。

しかし、起源的には、この「ヴェネツィア」から名前が来ていること
は間違いがない。何故、ヴェネツィアという名にしたのか、いまとなっ
ては分からないが、到達すべき目的地として、「ヴェネツィア」が名
付けられている。

この4,5日か1週間、色々と思うことや、考えることがあったが、
人はそれぞれに、自分が目的とする「何かの場所」を持っているのだ
ろうということがある。わたしは、色々な名前を付けているのと、そ
れぞれの名に関係して「物語」があるので、「ヴェネツィアへの道」
の物語も、何時か具体的な話として書きたいとも思っている(思って
来た)。

『灰羽の悲歌』という話を書いていると云うか、途中まで書いて、先
をどうするのか、考えていくと、迷宮のようなことになって、一旦そ
れは筆をおいて……というのがあった。『銀の薔薇のソネット』とい
う話も書いていたが、途中で、筆が進まなくなった(この話の設定の
延長の一つで、『灰羽の悲歌』が出て来たのだと思うが、色々な話を
考え、幾らか書いて、筆を置くと云うことを繰り返しているので、整
理して、表にでもしないと、何を書いていたのか、何を構想していた
のかよく分からない)。

------

話として纏まりがないが、「ヴェネツィア」という名前に関連して、
昨年の十一月だったのか、秋の頃に、十巻近くの本をまとめ買いして、
ほとんど一気に読んだ話に、オットーマントルコ帝国の大帝スレイマ
ン一世の治世において、ハレムにあって活躍した、「寵姫」という称
号を持った後宮側室ヒュッレムを主人公とした少女漫画を思い出した。

非常に面白い話で、歴史漫画としてはちょっとおかしい(というか、
非常におかしい)が、日本人向けの少女漫画なので、こういうスタイ
ルになるのだとしか云いようがない。

篠原千絵の『夢の雫、黄金の鳥籠』で、現在、10巻まで出ている。
次が読みたいというところだが、大体、半年に一巻刊行なので、なか
なか話が進まない。10巻が出たのが、昨年の8月10日なので、す
でに4ヶ月経過している。そろそろ予約できるように思う。

以下が10巻のアマゾンのページである:
https://www.amazon.co.jp/dp/4091394353/

本の表紙が黒の枠に入っているが、この作品は、奇数巻は表紙の絵の
背景は白で、偶数巻は、この10巻のように、黒い枠が付いている。
一応、歴史漫画なので、スレイマンとヒュッレムの史実の歴史を調べ
ると、話の今後の進行が大体分かるはずであるが、調べていない。ス
レイマンの治世は長く、遠征の回数も多数あるので、10巻で、よう
やくスレイマンの治世4,5年目で、第三回遠征を計画している・実
行を開始しているのでは、先がどうなるのか、よく分からない。ヒュッ
レムは、寵姫として、例外的な地位をオットーマン帝国の宮廷で築い
た人物なので、まだ先が長い。どこかで話を打ち切って、あとは、年
代記風に何十年かの時間を一巻で終わらせるという手法かも知れない。
まともに全部書いていると、40巻ぐらい必要になる。しかし、多分、
二十巻ぐらいで終わると思う(その前後だと思う)。

あしべゆうほは、『クリスタル・ドラゴン』は一体どうなったのか、
何か知らないという思いであるが、物語を精緻に設計して完成させる
作家もいる。

大和和紀の『イシュタルの娘』は、16巻で完結した。16巻は昨年
の11月13日にリリースであるが、これが最終巻とは思っていなかっ
た。最後まで読むと、話が完結しているので、はじめて最終巻だと気
付いた。戦国期から江戸時代初頭にかけて活躍した才女、小野於通の
生涯を描いた伝記漫画であるが、最後の巻の作者の言葉を読むと、こ
の話は、ほとんどがフィクション(作者の創作)だと分かった。
わたしも、小野於通については、だいぶ前から興味があったが、於通
の生涯についての資料とか、本とか見たことがない。大和和紀が最終
巻の後書きで、小野於通については、名前が有名であるが、歴史的資
料がほとんどなく、実像が不明なので、色々と想定して、人物伝記を
造ったと書いているので、ああ、なるほどと思った。

https://www.amazon.co.jp/dp/4065104793/

つまり、歴史史料がほとんんどない。それにしても、この話で描かれ
る、幕府大奥の実質的な創成者である春日局の姿は、たぶん、これが
実像ではないかと思える現実感がある。春日局を描いた漫画とか話は
あるが、どこか美化しすぎているような気がしていた。

とまれ、複雑な歴史を背景に、大勢の登場人物が出てくる、錯綜した
物語を、ここまで分かりやすく、しかも無理なく完成させたのは、大
和和紀の作家としての力量というしかない。

----------
添付画像
上)『イシュタルの娘』16巻表紙
下)『夢の雫、黄金の鳥籠』4巻表紙(この少女はヒュッレム)

_

 

古き年は過ぎ去り、新しき年を

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年12月31日(日)23時06分47秒
返信・引用
 
振り返って、本年2017年は、2月に新年の挨拶を書いた後、
ほとんど何の書き込みも活動もなかったです。

来年、2018年は、と記したいですが、人生の予定は変化する
し、人生にあって、「予定」など果たして立てられるのかとも思
う。

昨日というか、正確には、今日になるのですが、眠ろうと思って
横になって考えていると、あと何年生きているのだろうかという
ようなことを考えました。

あと20年。それは難しいと思った。では10年。十年ぐらいの
時間ならまだ生きていられるようにも思ったが、それも、人間の
身にあって不確かなことでしかない。

思って見て、人生は何と「夢」のように過ぎ去って行くのだろう
か。それぞれの人生の過程で、十年ごと、あるいは五年ごとで、
何があったか、何をしていたかを考えると、時間のなかで、十分
に色々なことをしてきたと思う。従って、「あっという間に時間
が流れ去る」というようなことは、なかった。

それぞれの年代でそれぞれの年と時間で、意味があったかなかっ
たかは別に、色々なことをしてきた。それが地上的な、世俗的な
成果を結んだか否かと云うことで、時間の充実度を測ることはし
ないので、自己の内的な生の充実で考えれば、十分に内容のある
歳月であり、レーベンのツァイトだった。

ただ、いまになって感じるのは、すべて「空しい」という思いで
す。伝道者の言葉は十代に読んで、古代の賢者の智慧の助言は理
解できたと思った。従って、伝道者の述べた言葉の通りに、今、
ときの経過を知って、死を前にするときに至って、後悔すること
は多々あるかも知れないが、人生をもう一度やり直そうとかは思
わない。

ただし、悪魔の神(ダイモーンの神)が現れて、時間を遙かな青
春の頃に戻そうと云えば、それに同意するかも知れない。生きて
来た時間や、その内実を空しいとは思っても、これがわたしの人
生であるなら、それはそれで良しとすべきである。ダイモーンが
別の人生の路を用意するというなら、それは、この人生を否定し
てではなく、いま一つの別の人生を生きるチャンスを提供しよう
云うことで、この人生を否定して無価値であるとして、別の人生
を選ぶわけではない。

この人生の後に、別の新しい人生がありえるということなら、そ
れはまた望ましいし、死後に人の魂を待っている定めは、再びの
この世界、あるいは別の世界での、「覚醒」であろうと思う。

-------

ともあれ、聖なる冬至は過ぎ去り、新しい年が訪れようとしてい
る。
過ぎ去る年は、いかなることがあったとしても、人生のアーカシ
アに銀色の記録として残っている。それが望ましいか否かは、人
の意志や望みではいかんともし難い。しかし、実存の生の刻印は
神聖なものである。

来たるべき年は、光に満ちて、闇はそれに打ち勝つことができな
かった原初の時間が、透明な流れのなかに幽かに垣間見える年で
ある。年ごとに、この真理は変わらない。

人は、闇の無から生まれ、やがて、闇の無へと還って行く。
だが、その生の過程は、闇を越えた光に通じた過程である。人は
かくて、或る意味で、「永遠の命」を持っている。永遠は、いま
とここにあるとも言える。

新たな年を迎えるにおいて、各位にあられましては、「永遠の光」
の惠みが、その一日一日の日々の生にありますように。

2017年の最後の日に、かく記し、
翼の主の祝福をかく冀います。

幸いなるかな心貧しき者、
天の国は爾らの魂にすでに宿っている。


Miranda Noice Welrech en StirLizania,
a 22:50 en decembre, 2017

_ khaire

 

どうもおかしい(パスがハッキングされている?)

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年12月28日(木)01時31分12秒
返信・引用
 
すでに hidden で、非表示になっていますが、どこかの「荒らし」のような
投稿があった。非表示にしようと、掲示板を見に来ると、そんな投稿はない。
奇妙なので、管理者モードに入って見てみると、その投稿は、すでに非表示
になっている。

わたしは、非表示にした覚えはないので、ここの掲示板のパスとか、誰かに
知られているのだろうか。あるいは、運営会社の tea-cup の方で、自動的
に非表示にしているのだろうか。そういうことはないと思うので、奇妙であ
る。パスワードを変更した方がよいのかも知れない。

----------

ところで、Youtube に行くと見ることが出来るが、Pink Froyd の Wish You
Were Here という曲に、動画がついたものがあるが、この歌の歌詞に、Did
you change your hero for ghost (君は、自分の英雄を、幽霊と取り替え
たのかい)というのがあるが、これが、動画の画像で見ると、「英雄」とし
て、演説するレーニンの絵が出てくる。

レーニンが英雄とは、どういう思想かと思う。レーニンは、死ぬ前、スター
リンについて、彼を後継者にしてはならない、あれは、冷酷で粗暴な男だ、
と云っていたというが、スターリンは、粗暴どころでない、大虐殺の暴君で
あるが、ソヴィエトの歴史を見ればスターリンが粗暴だとか云っても仕方な
いような気もする。

独裁専制国家では、誰が指導者になろうと、大虐殺や粛正は避けられない。
大陸中国も、北朝鮮も、そして南朝鮮も同様である。

_
 

"Echoes" by Pink Floyd

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 8月13日(日)04時23分6秒
返信・引用 編集済
 
いまは昔ではなく、昔のことが思い出されるというのも年齢をとったからかとも思う。
たまたま、映画『薔薇の名前』のタイトル曲を聴いていて、何か別の変わった音楽はな
いのだろうかと思った。音楽ファイル(MP3とmidi)の入ったフォルダーには、ピン
ク・フロイドの『夢に消えるジュリア』が入っていた(昔、ここにコピーして入れたの
で、これは単一の曲をどこかで拾ったのか、またはアルバム『ピンク・フロイドの道』
全曲のMP3を、ダウンロードして、そこから、Julia Dream だけを別にコピーしたの
か、忘れてしまったが、Youtube で調べると、非常に、興味深い動画がついた曲が、ア
ップロードされていた。

これは10日のことで、次の動画である:



これをローカルに保存して、それ以外に、『シッラス・マイナー』なども保存していた
が、昨日、12日にローカルでプレイヤー再生してみると、途中から、音楽がなくなっ
ている。そんなはずはないので、これはローカルへのダウンロード失敗だと思い、もう
一度、ダウンロード・変換で保存すると、今度は正常に再生できる。途中、半分ぐらい
のところで、音が出なくなっていたファイルは、再度ダウンロードした正常なファイル
に較べて、3MBほど小さかった。つまり、このサイズが、消えた音に使っていたファ
イルの領域の大きさになる。

別の動画も再生してみると、こちらは、動画が途中で出なくなっているので、これも再
度ダウンロードすると、正常なファイルとなった。前のファイルが30MBぐらいだっ
たのに対し、正常なファイルは、60MB近くある。30MB近く欠落すると、動画自
体が、消えてなくなることになる。

そうこうしていると、朝になったが、Youtube を調べていると、Pink Floyd の"Meddle"
全曲がアップロードされている。これは、動画というより、曲名だけが表示されている、
音楽ファイルと云ってよく、ローカルに保存してみると58MBしかない。「メッドル」
全曲で47分弱あるが、この動画が58MBということは、これは、MP4に変換しても、
大体これぐらいの数字である。次のURLにある:

https://www.youtube.com/watch?v=QdDiE1ljUwQ

この動画のコメントで、「エコーズは我が人生、我が宗教なり」と、Der Fuhler という
名のユーザーが書いている。それに対するコメントで、「総統(Der Fuhler)、その通り
だ」と誰かレスしている。
>> Echoes is my life, My religion.
このように総統が云っている。

なるほど、と思い、わたしは、バッハのカンタータのなかのコラールの歌詞で、
> Echoes bleibet meine Freude, meines Herzens Trost und Saft.
とか云えないかと思った。コメントを書きたくなったが、昔、Google に登録した適当な
ユーザー名が出てくるので、コメントには書かなかった。

「メッドル」全体をローカルに保存した後、「エコーズ(Echoes)」だけを、ローカル
で聞いてみて、素晴らしい傑作だとあらためて思った。ピンク・フロイドは、半世紀前、
二十歳頃に、このような傑作を造っていたのだと考えると、人間の才能の偉大さという
ものが痛感される。ピンク・フロイドは、当時は、四人組のグループだったが、何かの
事故で、四人が全員、「メッドル」発表の後に世を去っていたとしても、彼らの名前は、
歴史のなかで燦然と輝き、人類の存続する限り、忘れられることはないだろうとも思っ
た。

なお、「メッドル, Meddle」は、

One of These Days
Pillow of Wind
Fearless
San Tropez
Seamus

Echoes

の全部で6曲で構成されている。レコードだと、A面とかB面があるが、わたしは、昔、
Echoes があるのが、A面で、One of These Days で始まるのがB面だと思っていたが、
どうも、One of These Days のあるのが、A面で、B面に Echoesがあるようである。B
面全体が Echoes 一曲である。

上の「メッドル」動画だと、「エコーズ」は、半分ぐらいのところから出てくるので、
「エコーズ」単独の動画(というか、音楽)の投稿は、以下にある:



曲冒頭の、何とも表現しようがない、柔らかい鋭さを持った、甘美で透明な電子ギター
の弦音が奏でるメロディが、この世のものとも思われない美しさを持っている。ピンク
・フロイドは、電子音楽のマインドミュージックの開拓者で、先駆者で、多分、最高峰
だと言える。彼らは、開拓者であって、電子音楽は、まだそれほど自由自在に、作り出
せる時代ではなかった。従って、この信じがたいような「音・メロス・メロデス」は、
電子音楽ではあるが、人間が実際に演奏している、非電子音楽でもある。

どこにもない、奇蹟的な「音楽の宇宙」を作り出している。しかし、この宇宙に心を旅
するのは、精神的には、非常に重いことだとも言える(精神のエクスタシーであるが、
それは、非常に大きな心体的疲労感をもたらす[心体=psychosomatic, プシューコソー
マティック]。ψυχοσωματικη)。

人が死後に辿り着く世界は、プレンセス・マリー・ドルレアンが云っているように「華
麗なる静寂の暗黒」であろうと思う。静寂のなか、意識はなく、しかし、魂はあり、永
遠(アイオーン)における休息があるだろう。死を考えるとき、時に、「無限の恐怖」
を実感するが、死の事実性は、人の意識の思考や思念・私念を越えて、事実である。

人は、死を肯定しても、否定しても、受容しても、拒否しても、死ぬ。人が生きている
あいだは、死はない。他方、人が死んだとき、死を恐怖する「わたしの意識」は存在し
ていない。それ故、死は、わたしにとって「存在しない」というのは、消極的には、死
について幾ら考え苦しみ、あるいは期待しようと、死は来るときに来る、それ故、死に
ついて、考え悩むことは意味が無い、という意味である。しかし、積極的には、死は、
人の創作や技術や念慮に先行して、「闇の光」として、人の魂の宿命の故郷としてある
という意味になる。

_

 

「月面で幅跳びをすると、どれぐらい跳べるか」

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 7月15日(土)15時53分16秒
返信・引用
 
最近は、色々と事情があって、掲示板もウェブサイトも暫く中断し
ていました。

たまたまヤフーの「白痴袋」を見ていると、天文学か宇宙物理学関
係の質問で、月面で、幅跳びをすると、どれぐらい跳べるのか、と
いうのがあったので、昨日から答えを考えて来たのですが、ようや
く答えを造ったので、これを投稿しようと思うと、質問は締め切ら
れ、「投票に移行しました」と出て来ました。回答はできなくなっ
たのでした。ここに、投稿しようとした回答を載せます。

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https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14176393899

月面で走り幅跳びしたら、地球上で跳んだとき

chielien_3459874f330ed8b7723eac628さん

2017/7/813:41:08

月面で走り幅跳びしたら、地球上で跳んだときの何倍の距離、跳べるでしょうか?

ただし、
地球と同じように空気があって宇宙服を着なくても良いという条件で。

    共感した 1

閲覧数:    47
回答数:    8

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回答

物理学的に、かなり丁寧に考察し、検討しつつ説明を書いていると、3000文字を
越えたので、詳しい説明は略して、結論だけを述べます。

月面上で、助走を付けて幅跳びをすると、地球上での場合と較べて、理論的には、最
大2.44倍、実際は、2倍程度の跳躍距離になると思えます。

月面での走行とか助走の仕方とか、それなりに練習して慣れなければなりませんが、
慣れないので、うまく跳べないというのは答えにはならないと思います。確かに、月
面上では、地面を脚で蹴っても、十分なエネルギーを獲得できないというのはありま
すが、助走で、複数回地面を蹴ることで、結局、地球上でと同じだけの運動エネルギ
ーを獲得できると考えられます。(間違っているかも知れない。大学一回生レベルの
古典力学の初歩的問題だが、長くこういう問題に関わらなかった)。

------------

なお、最大2.44倍という数字は、これは6の平方根です。
月面で、垂直に跳び上がると、地球上と同じエネルギーで地面を蹴った場合、重力が
6分の1なので、月面では、6倍の高さまで跳び上がります。しかし、跳び上がった
後は、地面に降りてくるのですが、このあいだの滞空時間は、6倍になるかというと、
実は、6の平方根倍にしかならない。これが、2,44です。

水平方向の走行や運動は、地球上と同じ式の形になるので、最後に勢いを付けて、跳
び上がる時、どれぐらいの時間、空中を滑空するかで、幅跳びの到達距離が決まる。
この滞空時間が、月面では、6の平方根倍が最大値になるので、上に書いたような結
論になります。

(なお、何故平方根かという理由も少し書いておきます。ある運動エネルギーで、垂
直に上に跳び上がった時、変位(移動距離)は、「加速度係数X変位X質量=重力X
変位=運動エネルギー」という式から出てくるのですが、これは、加速度係数が6分
の1の月だと、同じ運動エネルギーに対し、質量は不変なので、変位が6倍になる。
他方、滞空時間は、「運動エネルギーは、速度の二乗に比例する」という式と、等加
速度運動では、「速度=加速度係数X経過時間」という式から、6の平方根になるの
です)。

------------------------------------------------------------

なお、回答が8個ついていますが、すべて間違っています。あるい
は、回答になっていない。
ごく初歩的な古典力学の問題なのですが、まともに考えて回答する
人がいないという実情は、憂慮すべきことかも知れません。
わたしの回答も、どこか抜け穴があるような気がしますが、いまの
考えでは、これでよいようにも思います。

月面では、重力が地球の6分の1ですが、水平方向の運動を考える
と、運動方程式は、地球上と同じになります。つまり、重力が6分
の1というのは、垂直方向の運動については、直接に影響してくる
が、水平方向の運動には直接には関係しないのです。
というような、基本的なことが理解できていない人が、回答するの
ですから、群盲象を撫でるという状態です。

日本では、若い人の思考力や教養や、探究心が弱くなっていて、こ
のままでは、日本は文化国家として世界に遅れを取ってしまうと云
う危惧は本当のようです。

_
 

最近の状況・小説を書いていました

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月27日(火)01時20分19秒
返信・引用
 
ここ、しばらくは、ウェブサイト関係の作業ではなく、小説
を書いていました。同人誌を造っているのですが、作品がな
いので、わたしが書かなければ同人誌が発行できないという
ような状況です。

小説はもう長いこと、まとまったものが書けたことがなかっ
た。一番まとまりのある話で書けたのは、何と、16,7年
前に、平安時代・王朝時代を舞台に、特殊な霊能力を持った
姫君(最初は中納言の姫君で、やがて、大納言、そして関白
太政大臣か左大臣にまで上り詰める名家の姫君)が、どうい
う訳か、20世紀半ばの同じ年齢の少女と精神交流と、精神
の移行を行い、平安時代にいるのは、実は、昭和初期の少女
の意識であるという話を書いたのが最後で、それから後は、
どうも、まとまった小説が書けなくなった。

5,6年前から、小説を書き上げようと努力しているのです
が、どうしても話が進まない。少し書き出すと、筋が複雑に
思えて、先に進めないというのがある。どういう理由で書け
ないのか、よく分からなかった。

しかし、1週間ほど前か、イメージ小説というものを書いて
みたところ、これは、うまく終わりまで書けた。非常に珍し
いし、ブレークスルーだと思った。あと、2,3は書き上げ
てから、別のことに行動を移そうと思っていたが、今日、と
いうか、すでに昨日になるが、朝10時頃書き始めると、夕
方から夜にかけて、ほぼできあがった。未だ完成していない
が、ここまで書くと、どこで、終わりの情景を入れても、そ
れは、そういう終わり方なのだと云うことになる。つまり、
作品としては、できあがった訳です。

そこで、何故いままで小説が書けなかったのか、今回の成功
経験で、理解できることがあった。今回は、イメージストー
リと云っているように、情景が一つあって、それを軸に話を
描いていくと云うだけの作品で、作品に特に、構成とか、内
部構造の設定とか、色々なプロットとかを考えなかった。考
えなくとも、作品が終わりになるためには、必要な要素があ
る訳で、こういう風に書くと、話が完成した。

そこから、いままで小説が書けなかった理由というのが、何
となく分かって来るように思える。いままで、小説を書こう
と考えると、かなり緻密な作品構成・物語の設定を行ってい
た。こういう物語の枠組みの構成は、数分とか、十分、二十
分ぐらいあると、実に簡単に色々なものが構想できる。しか
し、ここに、小説が書けない理由があったのだと思う。

十分、二十分か、あるいは半時間か一時間か、それぐらい物
語の構成や構造を、主題を考えると、かなり複雑なものを、
実は考えていることになる。しかし、構想段階での話の展開
は、実に簡単に色々と思いつくので、ここまでの話の構成で
十枚ぐらいとか考えて、全体で、50枚程度とか考えて、こ
れを実際に書き出すと、ここまでで、10枚程度と見積もっ
た数字が、相当にずれた数字だったということになる。10
枚程度の内容だと考えたものは、実際に書いてみると、20
枚、30枚、あるいは50枚に匹敵する話であったりして、
そうすると、書いていて、こんな詳しく書いていると、全体
でどのぐらいの長さになるか分からない、と感じてしまう。
しかし、そういう長さが必要な複雑な構成を実際に設定して
いるので、長くなるのは当然のことである。

つまり、十分とか二十分とかで、ごく軽く物語りの構成を構
想してみると、実はそれだけで、すでに、百枚とか二百枚の
話を構想していることになってしまう。
50枚の話を構想すると、それは250枚とか300枚の話
である。100枚の話だと、500枚ぐらい枚数が必要にな
る。そんな長編を考えているわけではないが、構想すると、
特に深く考えなくとも、非常に複雑な話を設定してしまう。
これを、短く書こうとすると、長くなりすぎると云う自覚に
なって、そこで停まってしまうのだと思った。
あまり話の構成を考えない方がよいということになります。
考えなくとも、書いていると、複雑になってくるので、書く
前から、複雑な構成を考えると、実際に書き始めると、色々
なものがあまりにたくさんあって、込み入っていて、先が見
えなくなるということのようです。

----------

というようなことを、痛感した。

ところで、先月か、今月に、描画ソフトでクリスタ(クリッ
プスタディオ)を購入したが、マニュアルも購入して,少し
視てみると、何と、ペンツールに、Gペン、かぶらペン、丸
ペンとかがある。何か昔のアナログの時代のような感じであ
るが、デジタルの描画ツールに、こういうものがあるという
ことは、アナログと同じような使い方ができるのなら、非常
に便利です。

絵をデジタルで描くとき、一番困るのは、ラインが綺麗に引
けないということです。ペンとタブレットを使うのは当然な
のですが、紙の上だと、もっと滑らかな綺麗な線が引けるの
が、タブレットだと、ラインがぶれるし、太さが一定しない。
しかし、クリスタだと、そういう問題は解決するようなので、
自由にラインが引けるということにもなる(本当は、イラス
トレータをすでにインストールしているので、これを使うべ
きだが、アドビのイラストレータは、使い方を覚えるのがた
いへんだと思います。15年以上、フォトショップを使って
いますが、いまだに分からない機能が一杯あるという状態で
す。フィルターだけで100ぐらいあるはずですが、それぞ
れパラメータが複数あるのが普通で、フィルターの使い方の
マニュアルというのは、ないのです)。

そういう話はきりがないとも言えるので。ここまでです。

_
 

フェレスティアの絵などについて

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月20日(火)02時43分54秒
返信・引用
 
「ミラディス習作画展示室」で、フェレスティアの絵とか、ノイスの絵に
ついて、これらは、もっと大きな絵があったはずである、と記した。実際、
両方とも、更新日付が、2001年2月頃の絵であるが、それから十数年
間、放置していたのかというと、それもおかしい。ただ、二十年も前の画
像ファイルになると、数テラバイトを越えるデータ・ファイルを抱えてい
る今となると、なかなか、捜すのが難しい。

ハードディスク内部の構造が込み入っているだけでなく、累積的・継続的
に新しいファイルやデータが蓄積されて行くことがあって、古いファイル
が、どこにあるのか、記憶が上書きされるというか(単純に、忘れたとも
云いますが)、どうも分からない。

それは、とまれ、初期のフェレスティアやノイスの画像文書は、未だに見
つからないのですが、2013年頃に、二つの絵について、ライン修正や、
絵としての完成を試みたファイルを見つけました。試みたというより、ほ
ぼ完成したのだと思います。

ノイスの絵は、右手のワンドの先に、文字が二つ記されているが、これが
描かれていない、従って、この絵は未完成だと書きました。またフェレス
ティアの絵は、よく見ないと分からないのですが、両耳に、イヤリングの
ラフな線があり、イヤリングを描く予定だったことが分かる。また、フェ
レスティアの頭頂には、ステファニ(カチューチャの一般的な呼び方)が
あり、これは、どう見ても、描きかけに見える。

しかし、こう云ったことすべて、2013-2015年更新のファイルで
は、画像処理で完成している。ワンドの先の二文字も描いている。何より
画像が、相当に大きいです。フェレスティアだと、2013年の更新で、
幅1800x高さ2700ピクセルある。2001年頃に、こんな大きな画像が描
けたとは思えないので、どこかの時点で、画像自体のサイズを拡大して、
それに応じて、ラインを描き直した可能性が高い(2013年)。

ノイシア(ノイス)の絵だと、幅1410x高さ2100ピクセルの絵がある。こ
れは、2015年に更新日付がなっている。
添付画像は、ビューワーで見た絵のキャプチャですが、確かに、ワンドの
先の二文字は、仕上げている。(これは部分です)。
ノイス(ノイシア, NoiceA)の絵は、二文字が完成している絵と置き換え
るとして、フェレスティアの絵は、どうしようかと思っています。やはり、
モノクロ・ブルー色にして、置き換えるというのがよいかと思います(こ
の絵はフルカラーなのですが、事情があって、フルカラーの絵は、公開し
にくいのです。フルカラーの絵を見たいという方は、掲示板管理者宛メー
ルでお知らせ戴ければ、ページを造り、そのURLをメールでお知らせし
ます。しかし、態々手間をかけて見るほどの絵ではないとも思います。た
だ個人的には、カラーの絵は、かなり美しいと感じます)。

-----------------
添付画像:ノイシア(ノイス)の2015年の絵(部分)
右手のワンドの先の二文字が描かれている。
_

 

更新情報 Mirandaas 2017-0617

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月17日(土)01時40分15秒
返信・引用
 
Khoora Mirandaas の「ミラディス習作画展示室」で、日にち的には
一昨日に一回、昨日に一回、更新を行いました。

一昨日には、「ノイス・天使像A」という画像をアップロードしまし
た。「ノイス・天使像」というのは、ノイスの画像は、未完成なもの
や、公開できるほどの質のないものや、公開には問題がある画像など、
色々あって、翼のある天使の姿のノイスの絵も、複数あるため、「天
使像A」となります。ただ、今後、ノイスの絵で、投稿できるものが
あるのかどうか、分からないです。一枚あり、このままでもよいが、
やはり手を入れた方がよいと思います。

昨日アップロードしたのは、「天使フェレスティア」の画像で、フェ
レスティアというような天使は、どこに出てくるのだろうかと、長く
疑問があったのですか、昨日、あらためて調べて見ると、ある作品に、
フェレスティアという銀河天使が出てくることを確認しました。

フェレスティアは、翼が四枚あり、また、何か不自然なところがある
のですが、小説のなかのフェレスティアの描写・説明を見ると、ほぼ
説明通りに描いていることが分かった。ただし、かなり不自然なので、
修正しました。小説のなかでは、フェレスティアは、長さが3メート
ルの四枚の翼を持っていると書かれているが、そんな大きな翼は描く
ことができない。(描くことはできますが、フェレスティアは、身長
が170cmぐらいなので、3メートルの翼を描くと、バランスが崩
れてしまう)。

絵は、当分はよいとして、詩とか、小説とか、哲学的・思想的論考文、
ケルト神話などに移りたいと思うが、時間があるようで、ないという
ディレンマのような感じです。

_
 

雪の降っている写真

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月14日(水)00時55分39秒
返信・引用
 
先に、冬の木々を背景にして、セレニティが竚んでいるテーム・
タブローについて、雪は、高速度撮影しないと写真には写らない
し、写っても、はっきりした点にはならないというようなことを
記した。

ところで、或る目的から、色々な風景や花の画像を材料として集
めていると、冬の林を背景に、雪が降っている写真があった。こ
ういう風に雪は写るのだろうか、珍しい写真だと思った(添付画
像1)。

グーグルの画像検索で探していたが、「関連画像」というのがあ
り、それらも見てみると、添付画像2や3の写真がある。同じ林
を違ったアングルから撮影したのか、あるいは、林がかなり広大
で、違った場所が撮影されているのか、分からないが、同じ人が
同じ場所を撮影したのだとは分かる。

最初、雪が降っている情景が写っているので、珍しいと思ったの
ですが、写真2,3と見ていると、降っている「雪のパターン」
が、三枚とも、まったく同じです(添付画像1,2,3を比較し
てみてください)。

雪が降っている情景は、一瞬の出逢いで、違った時間に写真を撮
れば、降っている雪のパターンは、まったく違ったものになりま
す。林などの情景は、同じ気象条件の似た時間で撮影しても、同
じ影像が取れますが、雪はそうはいかないです。それがまったく
同じパターンということは、この雪は、あとで写真に追加して合
成したもので、本当に雪の降っている情景の写真ではないという
ことです。

最初は、雪片の形がぼやけているので、本当に雪を撮影したのか
と思ったのですが、合成だったということです。

----------

添付画像:(以下、上中下の三枚に写っている雪は同じパターン)
写真1上:最初に見つけた冬の林の写真画像
写真2中:関連画像
写真3下:関連画像

_

 

更新情報 Mirandaas 2017-0613

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月13日(火)02時57分20秒
返信・引用
 
Khoora Mirandaas で、新しく、「ミラディス習作画展示室」を作成
アップロードしました。
他者に見せるには、あまりにも下手な絵なので、「習作画」の「展示
室」にしました。

「灰羽の悲歌」という、ずっと書こうとして,何故か先が書けない話
の象徴的なイメージ図の制作過程の絵を一枚と、いま一つ、遙か昔に
描いた絵のデジタル修正ヴァージョンの二枚の絵があります。

「灰羽の悲歌」は、制作途上で未完成ですが、絵が進めば、新しいも
のに、交換して行きます。この程度の絵を描くのに,何故こんなに時
間がかかるのかというのは、幾らかでも、ましな絵に仕上げたいため
です。

デジタルで絵を描くには、いま使っている画像処理ソフトは向いてい
ないのです。紙の上に鉛筆で絵を描いて、これをスキャナーで取り込
む方が、よりヴァリエーションのある絵が描けるのですが、最近は、
それもうまく行かない。

イラストレータは、絵を描くためのソフトですが、これは、使い方を
覚えるのが非常に難しい。代わりに、もっと安価で、使いやすいだろ
うと思える「クリスタ」を購入したのですが、これを使うのは何時な
のかとも思う。

「存在は何故存在するのか」という文書を、完成というか、まとまり
の付いた形にしたい。いまの状態でも、ある程度の内容はあるのです
が、「無とは何か」という分析を加えて、結語か、何かそういう展開
にしないと、文書としてまとまらない。

他方で、ミラディス夢幻詩葉の詩を書かねばとも思うし、肝心の「灰
羽の悲歌」という物語(小説)を何とか進めたいとも思うが、どうも
先に進まない。

とまれ、久し振りに新しいページができたので、更新情報です。

_
 

ノイシアンの詩

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月11日(日)11時31分47秒
返信・引用
 
「ノイシアンの詩」とは何のことか意味不明ですが、ある特徴
を持った幾つかの詩のことになります。わたしが書いた詩(の
ようなもの)のなかの、特徴からそう呼びます。

ところで、先に、「インヴェンション」という詩があり、これ
を公開するには、「ミラディス夢幻詩葉集」は適切でなく、別
の詩のコレクション・ページを造らなければとか記しました。

「インヴェンション」は、どこにあるのか。これは遙かな昔に
書いたので、無論、手書きで紙に書かれていたのですが、デジ
タル文書として、ワープロに入力し,更に変換して、DOSテ
キストになっているはずですが、見つからない。グレップ検索
で、あるフォルダーのなかを調べると見つかった。

ところが、「ノイシアンの詩」が見つからない。というか、元
々「ノイシアンの詩」などというタイトルの詩はないので、検
索しようがない。2000年から2004年頃に書いた記憶が
あるので、その頃の文書を調べて見たが、見つからない。

「君は風なる」という句が入っていた記憶があるので、「君は
風」という言葉を検索語にして、膨大なファイルが入っている
フォルダーをグレップ検索すると、わずか、1,2秒で、その
句の入った詩がヒットした。何故そうなのか、という理由は、
そのファイルを見てみて分かった。

はるか昔、17年ほど前に、同じ事を考えたようです。
「ノイシアンの詩」が4編ほど入ったhtmlページがあり、
その最後に、「インヴェンション」が入っている。
つまり、ノイシアンの詩を集めたページを造り、そこに「イン
ヴェンション」を入れれば、うまく入ると先日考えたが、そう
いう「小詩集ページ」を、17年ほど前にすでに造っていて、
何時頃から忘れたのか、すっかり忘れていた。

過去に造ったので、その記憶が働いて同じ発想になったのか、
あるいは、17年前に、ノイシアンの詩を集めたとき、それに
加えるに相応しいのは何かと考えて、「インヴェンション」を
選んだと云うことは、今回考えたのと同じことを考えたことに
なります。

「インヴェンション」というのは、1980年代初めに書いた
詩で、他方、ノイシアンの詩は、2000年頃に書いた詩で、
年代的に随分違っている。

----------

とまれ、ノイシアンの詩は、すでにページを造っていた訳で、
しかし、4編+インヴェンションでは、どうも寂しい。何か他
に追加できないだろうかと考える。おそらく、17年か、15,
6年前にも同じ事を考えて、分量が足りないので、これはいづ
れ、内容が充実すればという考えもあって、公開していなかっ
たのだと思う(短期間か、または個人的に、特定の人に見せて
いた可能性がある)。

ノイシアンの詩葉、基本となる詩のタイトルが、「The Amazing
Grace」で、ページのMIDIが、「アメージング・グレース」
のMIDIになっています。

冬の雪のなか死んで行ったうさぎについて詠っている詩です。
死を美的に讃美しているナルシスティックな歌なのか、とも思
えるのですが、何か違うことを述べているのだと思う。

十代の終わりから二十代にかけて、かなり熱心に日記を書いて
いた記憶があるが、その日記には、その日に何が起こったのか、
誰とあったのか、具体的な現実の情報は何も書かれていない。
それらのできごとなどの結果、心に抱いた感情や思いや考えを、
背景にあるできごとを、一切明示せずに書いた。日記にあるの
は、感情の分析的な描写や、そこから来る、世界についての思
考や、暗喩や象徴などで、「できごと」の文脈が分からない場
合、何ゆえ、このような象徴や暗喩や,言葉や思考の流れがあ
るのか、分からない。

詩のラインで、耽美的、自己愛的な表現や形象が記されていて
も、果たして、記されているような内容を本当に書いているの
か疑わしい、と「エインの霧」について記したが、二重、三重
あるいは四重の意味や考えが流れていて、それを一つの文脈の
体裁にしている可能性が高い。

アリストテレースは、「歌うたい(ホメーロスの徒)が、法螺
を吹いている」と明言し、ヘーシオドスは、自分自身が伝承を
編集し、神話や系譜や物語を創作したにも拘わらず、詩のなか
で、ヘリコーン山の詩神・女神がすべてをわたしに教えてくれ
たとか述べている。

ホメーロスは、叙事詩をうたうたびに、異なる内容の詩句をう
たった。しかし、6世紀頃か、アテーナイの最盛期にあって、
文字記録にその叙事詩が記録されると、ホメーロスは、この長
大な詩を完全に暗唱していて、何時うたっても,同じ言葉をう
たったかのような錯覚が生じた。
ホメーロスに限らず、吟遊詩人たちは、即興で物語り詩をうた
ったので、同じ物語、というか、物語は同じでも、語られ方が、
その場その場で変化した。

どういう言葉が出てくるのか、詠われるのか、うたを所望した
貴族や民衆、聴衆に分からないと同様、実は、うたをうたう吟
遊詩人にも分からなかった。大まかな筋は決まっているが、言
葉は、その瞬間瞬間に生きて誕生し、翼をもって飛んで行く。

ホメーロスに限らず、古代ギリシアの叙事詩は一般に、ムーサ
が、叙事詩人の言葉を使ってうたっているとされる。誰が誰の
構想や思考を、言葉にしているのか。ムーサ女神か、叙事詩人
か。二重性がある。

_

 

更新情報 Mirandaas 2017-0608 +その他

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 9日(金)07時34分16秒
返信・引用
 
昨日のことだったと思うのですが、(一昨日かも知れない)、ミ
ランダースの方で、マイナーですが、更新しました。

「ミラディス夢幻詩葉集」に、五番目の「詩」(らしきもの)を、
追加しました。

ただし、これは最近のものではなく、かなり古い作品です。

「黒い鷲 III, L'Aigle Noir III」と云いますが、これは、同じ
題名の「黒い鷲, L'Aigle Noir I」と同じ頃に書いたものです。
「黒い鷲」は、全部で、五編あるようで、最初のものは、あまり
に出来具合が悪いというか、自分の趣味になっていると思い、二
編ほど、追加的に、ごく短期間公開していたことがありますが、
削りました。

たまたま、五つの「黒い鷲」の原稿を見つけたので、読み返して
みると、そんなひどい内容でもないので、再度(かまたは、初め
てか)公開することにしました(前回、と云っても、十年以上前
ですが、何を公開したのか覚えていない)。時間をおいて、「黒
い鷲 III」を見てみて、質的にいいだろうと思えた場合、他の同
じ系統の作品「黒い鷲」のIIとかIVなども、公開するかも知れま
せん。

また、「インヴェンション」という詩があるのですが、(これは、
特に好きなので、印象が強いのでよく記憶している)、確かこれ
はオンライン(インターネット)で公開した覚えがない。同人誌
に掲載したが、それも、30年かそれ以上昔の遙かなことなので、
これも公開しようと思っています。ただ、「ミラディス夢幻詩葉
集」に入れるのは、ちょっと場所が違うと思う。

ずっと昔に、「ノイシアン詩集」というページを計画したことが
あるのですが、どうも、作品があまりよくないというか、公開す
るに値しないと思ったので、それはやめた。しかし、それも十何
年も前で、いまはまた評価が違って来た。「ノイシアン詩集」と
いうページを造って、そこに「他のノイシアン系統の詩作品」と
倶に、「インヴェンション」を収録するのがよいのではと思った。
実際に、新しいページを造るかどうか、計画だけになるかも知れ
ませんが、一応そういうことを考えています。

計画だけだと、イラストのページを新設しようとも思っています。
PIXIV にアカウントを持っていて、一作だけ、それも、モノクロ
で、もの凄く小さな画像しか投稿していないが、フォロワーが一
人いるので、何か描いて投稿しなければとずっと考えて来た。
(これは、色々と背景があります。後に説明できればします)。

計画だけと言えるかも知れないが、
2015年の終わり頃、「ミランダ・グノーシス序説」という文
書を、二つほど書いていて、一方はある程度の分量書いたのです
が、どう結末を付けるか、展開させるか分からなくなった。

これは、「存在は何故存在するのか」という哲学的問題に、答え
は「これである」という趣旨で書き始めたが、書いていると、答
えになっていない。なっているとも言えるが、神秘主義的直観の
ような部分もあり、そこは宙に浮いてしまう。古代ギリシアにお
ける「自己立ち昇りする自然」とか、「カントの物自体」とか、
弁証法的唯物論は、単なる「素朴実在論」に空想や妄想が混じっ
たものに過ぎないとか書いていると、神秘主義的な話では、済ま
なくなってきた。(わたしたちのサイトは、一見、「オカルト的
・とんでも系サイト」に見えるのかも知れないが、内容的に、そ
んな「とんでも」なことは書いていない)。

「存在と無」で、「無とは何か」ということで、「無」のモード
(様態)あるいは概念が複数あるので、それらを説明して区別し
て、とか考えていると、2015年末であるが、疲れてきたとい
うのがある。

「ミランダ式エンチクロペディー」とかの話も書こうと思ったが、
別の機会にします。

--------

この掲示板は、次の二つのウェブサイトの共用掲示板です:

  Khoora Mirandaas コーラ・ミランダース
  (ミランダ・グンーシス主義サイト)
http://mirandaris.in.coocan.jp/

  Khoora Sophiaas コーラ・ソピアース
  (Sophia7サイト,ソピアー・ウェブサイト)
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/index.html

_ Miranda

 

「KB2987107」

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 7日(水)04時31分21秒
返信・引用
 
ウィンドウズ・アップデートで見ると、「KB2987107」というのは
来ていないようである。オプションの方でも見たが、来ていない。
あるいは、来ていたが、インストールしないので、取り消したのか
も知れない。

前回の更新プログラムのインストールが、4月28日で、今回は、5
月分が、6月7日にインストールということになる。

ハードディスクのバックアップを取っておかないと、と思うが、あ
まりにも容量が大きいので、なかなか、バックアップといかない。

数ギガバイトとか、100GBぐらいなら、バックアップできるが、
何しろ、バックアップのないデータが、2テラバイトとか、3テラ
バイトもあると、USB2では、時間がかかりすぎる。

再度云うが、マイクロソフト、死すべし。万死に値する。

_

 

ウィンドウズ・アップデートは迷惑である

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 7日(水)04時06分53秒
返信・引用
 
率直に感じるところ、MSの提供するウィンドウズ・アップデート
には、本当にうんざりしている。

昨年だったのか、WIN10へのグレードアップとか、無料だとか
宣伝していたが、そもそも、OSのアップグレードというのは、単
なるアプリケーションのアップデートなどと違い、PCの根本シス
テムに関係するので、マイクロソフトが、何を保証しようと、そう
いうアップグレードはしない。

遙かな昔、WIN3.1だったとき、WIN95へのアップグレー
ドが可能ですとか云ってきたが、そもそもメインのストラージュか
らして、WIN95を支えるには、容量不足は明らかである。Cド
ライヴに500MBしか容量がないマシンで、どうやってWIN9
5が動くのか、無責任なことを云うと思った。

これは遙かな過去の話であるが、昨年起きたのは、同意もしていな
いのに、何時のまにか、勝手に、WIN10アップグレード用ファ
イルがダウンロードされていて、ある日、気づくと、WIN10に
勝手にアップグレードされていた。WIN10で、何か便利になっ
たことがあるのかと、1週間ほど、WIN10を使って、確認して
みたが、特に、よくなったという点は何もないという結論だった。
だとすれば、WIN7にロールバックすればよいということになり、
手順通りロールバックしたが、その結果たるやさんさんたるもので、
不具合が発生し、データベースが壊れ、いまだに完全復旧には、ほ
ど遠い。

この件以降、マイクロソフトは独占状態をよいことに、勝手し放題
ということが明らかになったので、毎月のアップデートとか、オン
ライン上のアップデート情報サイトで、何か問題のあるものを、M
Sが送って来ていないか、確認しながら、問題のあるものは、イン
ストールしないという方針で、やってきたが、いい加減に疲れてき
ます。

毎月、問題があり、セキュリティ向上のためのアップデートという
より、マイクロソフトが、自社の都合で送りつけてくる、得体の知
れないプログラムなどが、含まれている。しかも、以前は、セキュ
リティ・アップデートのファイルと、それ以外の関係のないファイ
ルと、別個にダウンロードやインストールができて、セキュリティ
に関係のない、有害なファイルは排除できたのが、「ロールアップ」
という形で、複数のアップデートを一つのファイルにまとめて送っ
てくるので、MSの都合のための「有害なファイル」を排除できな
くしてしまった。

アップデートは、毎月、月末辺りに、5月分のアップデートで、ど
のファイルをインストールすると、どういう問題やトラブルが起こ
るか、確認できた後で行うようになった。いまはすでに6月である
が、5月のアップデートを行うために、オンライン情報を読んでい
ると、5月分は、あまり問題がないようであるが、しかし、過去に
すでに配信済みのファイルを再度送って来ているとか云う。調べる
と、その番号、

>2017/5/11  KB2987107(IE更新)

これは、「2014/10/14配信済みのKB2987107」と情報サイトは云って
いるが、確かに、この番号の更新ファイルは、すでに2014年10月に
インストールされています。

いまからアップデートするので、この番号の更新ファイルが本当に
来ているのかどうか確認しますが、こういうのは、いちいちチェッ
クしているのは、うんざりしてきます。

また、WIN10は、最低最悪の「屑」だと判明したとか云ってい
ます。

マイクロソフトの「独占体制」が、結局こういう身勝手なことに繋
がっている。今更、アップルに切り替えることもできない。

マイクロソフト、死すべし(しかし、独占体制で、死なれると,後
が困る)。

_
 

更新情報 Mirandaas 2017-0604

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 4日(日)09時11分20秒
返信・引用
 
Khoora Mirandaas で、少しですが更新・コンテンツを追加しました。

「ミラディス夢幻詩葉集」で、二つの作品を追加しました。

一つは、2017年の3月に書いたもので、「エインの霧に」。
この詩には、説明というか解説が付いていて、「エイン」とは、カッ
バラーの「原初における無・全無」であり、「エインの霧」とは、文
字通りには、「無の霧」になる。しかし、詩に含まれる比喩や暗喩は、
耽美的なもので、そういう主題には見えないというようなことです。
しかし、エインとは、「存在の潜在状態・デュナミス=無限可能性状
態=仮想夢幻」であるので、最初から、そのような意味を前提に言葉
を書いているので、表面的なイメージの修飾とは違う内容だと述べて
います。本当にそうか、読む人次第です。

もう一つは、何の詩かよく分からなくなっているのですが、「花の色
-夢のミレリア-ナイルの青」です。2015年に書いた詩です。
「ミレリア」とは女性のような人物なのですが、一体何なのか分から
なくなってしまった。これは、適当に文章を書いているからこうなる
のではなく、「ミレリア」というのは、心に登場するイマーゴ(像)
で、何であるか、敢えて具体的な像を言葉で規定しない方がよいと云
うのが、このイマーゴの意味になります。

非常に印象的で強いインパクトを持つ心像(イマーゴ)というのがあ
り、三十年前か、もっと前なのか、ある夜に、心のなかに存在してい
るので、何とか、このイマーゴを再想起可能なものにしようと、名前
を付けたことがあります。日本語で言うと、「忘却」というのが、妥
当なイマージュなので、ギリシア語の「レートス, Lethos」、「レー
テー, Lethe」を考えたが、どうも、性別が男性でも女性でもない(レ
ートスは、男性名詞で忘却、レーテーは女性名詞の忘却で、冥府の忘
却の川が「レーテー」です。中性形だと「レートン」になるが、そう
いう感じではない。ラテン語だと、「オー」という形の名詞語尾があ
る。またギリシア語だと、「オー」に終わるのは動詞になる。そこで、
「レートー」という名を付けたというのがある。あとで大辞典で調べ
ると、レートーという形で動詞として存在している。ランタノーとい
う動詞の詩的形で、特殊な形態だが、語幹からは容易に想定できる。

「ミレリア」というのは、「象徴的爾」で、語りかける対象になる。
返答がなければ、返答がなかった、ということになります。

_

 

西暦表示と元号表示

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 3日(土)18時29分1秒
返信・引用
 
インターネットのニュース記事などを読んでいると、しばしば何時のことか
分からなくなる年月表示が出てくる。記事の前後をみたり、少し考えると、
分かることであるが、突然出てくると、分からない場合がある。

次の記事は、兵庫県豊岡市にある建設途中で放棄され、巨大な廃墟となった
ホテルの建設途上の建物が、30年あまり経過して、このたび、解体撤去さ
れることになったという、さるニュースサイトの記事である:

>> 実は廃虚マニアには有名な場所で、インターネットでも話題
になることが少なくない。というのも、豊田商事(倒産)が所有し
ていたと噂されたいわく付きの物件だったからだ。高齢者を狙った
詐欺商法が社会問題化し、会長が刺殺された事件(60年)と工事
頓挫がほぼ同時期だった上、事件との関連を思わせるテレビドラマ
の舞台になったことから、「都市伝説」が独り歩きした。

(出典:サンケイウェブ)

この記事では、(60年)という年代が記載されている。最初に「昭和60
年」と明記していることと、記事見出しが「30以上野ざらし巨大廃墟」云
々なので、60年というのは、昭和の元号での表記年代と云うことになる。

これは「豊田商事」事件なので、60年というと、1960年ではない、と
云うのは自明なように思えるが、なかには、「豊田商事事件」そのものを知
らない人もいるのではないかと思う。1985年のことなので、その年に生
まれた人は、現在、32歳か31歳で、それより若い人だと、生まれる前に
起こった事件になる。すると、知らないという人もいて当然である。

昭和の場合は、西暦とのあいだでかなりな時間差があるので、混乱が起こる
ことは少ないが、他方、古い話になってきて、知らない事件や出来事だと、
例えば、54年とか書かれていると、昭和54年か、1954年の略か、す
ぐには分からない場合がある。
これが、平成元号表記と、西暦表記の略だと、より分かりにくくなる。例え
ば、「13年に起こった」とかだと、これは平成13年なのか、2013年
を略して13年と云っているのか、年代的には、12年しか差がないので、
よく知らないことになると、どちらか分からない場合がある。

記事文中で、元号年代と、西暦年代の略年代を混用する場合もあり、ときに
西暦なのか元号表記なのか、分からなくなる場合がある。

役所などは、元号で年代を表記するが、個人的には、西暦年号を使用してい
て、元号を使っていないので、ときに今年は平成何年なのか、分からない場
合がある(すぐには出てこないと云うことで、数秒時間をおくと出てくる)。

---------

時代小説とか、歴史小説を読んでいると、元号で年代が表示されているが、
一体、西暦で何時のことか分からない。
「寛永」とは、江戸時代初期、徳川家光が将軍だった頃の元号だと思うが、
「寛永二年」とか云っても、西暦何年か分からない。1640年前後ではな
いかと考えるが、よく分からない。
中国を舞台にした歴史小説(例えば、『三国志』)などを読んでいても、中
国の元号で年代が表示されているが、これは、もっと分からない。

西暦にすべて統一すればよいようにも思うが、色々な事情からそうもいかな
いのであろう。歴史小説などでは、とりわけ、年代の表記法が、小説世界の
雰囲気を造るので、西暦221年とかに、蜀の劉備が後漢の滅亡を受けて、
漢の皇帝を名乗ったとかいうのは、221年と記されるが、この年が、蜀の
「章武元年」になり、以降は、章武何年とか使われるが、章武は223年ま
でしかなく、また同じときに、魏でも年号を定めていて、やがて、三国(魏
・蜀・呉)の三つの国で皇帝が現れ、三つの元号が生まれるので、日本の元
号以上に複雑この上ない。

西暦は、ADと略されるが、これは、Anno Domini(主の年)の意味で、キリ
スト生誕年を、AD1年としているが、実際には、イエズス・キリストが何
年に生まれたのか明らかでない。また、活動したとされる年代から逆算して、
西暦前6年頃に誕生とか云うことになっている。西暦は、キリスト教年号に
なるが、イスラム教には、イスラム暦があり、日本も70年前は、神武天皇
紀元を使っていた。

宗教や、地域や国や特定文化に依拠する年代表現ではなく、何か、地球での
「普遍的年代」というのがあればよいように思うが、現時点では、普遍的な
年号の起算点に当たる年が、決まらないようにも思う。

地球統一政府(地球連邦)のようなものが成立すれば、成立時点を、地球暦
の起算点にすると、地球普遍と言える。しかし、そういう組織が成立するの
かどうか、また、地球統一政府などは、望ましいのかどうか、いまとなって
は疑問の方が多い。

---------

ニュースサイトの記事において、元号表記の年代なのか、西暦表記の略なの
か、混乱が起こるという話であったが、面倒でも、元号の場合は、いちいち
平成とか昭和というのは、付けるのが望ましいように思う。数行の間隔で、
連続して出てくる場合は、元号は略してもよいと思うが、少し離れれば、平
成か昭和か、他の元号を明示するのがよいと思う。

_ Miranda

 

「ミラディス幻想詩葉集」のスプラッシュ画像

 投稿者:Miranda Welrech  投稿日:2017年 6月 2日(金)04時14分3秒
返信・引用
 
「ミラディス幻想詩葉集」のページの最初に、スプラッシュ画像と云うか、
主題を象徴する画像を置いています。

この画像は、青の背景に百合の花が左右上下に広がっている画像です。サイ
ト上で見ると、幅300ピクセルの小さな画像で、細部が分からないと思い
ます。実際には、この画像は、保存すると分かりますが、幅600ピクセル
あります。この大きさだと、画像にはどういう要素が写っているのか、ほぼ
分かります。

最初に投稿した画像は、文字が小さすぎて見づらいと思ったのと、百合の花
が灰色になっているというか、鮮やかな「白」ではないので、画像を再度処
理して、別の画像と置き換えています(別の画像と云っても、基本的には同
じ画像で、四隅の白い霧を増やしたことと、文字を以前は、黒の文字色に、
白の輪郭で通常文字だったのを、白の文字色にして、輪郭を黒に変えました。
また文字はボールド体にして強調しました)。

文字は、Miradis Poiesis と書いています。
Poiesis というのは、ギリシア語で、「ポイエーシス」です。

このスプラッシュの「百合の花」は、別の目的で利用するため、背景から切
り抜いておいたのですが、別の目的では、結局、使わないことにしたのと、
このスプラッシュを造るとき、この切り抜いた百合の花を使おうと思ったの
です。

この画像はどうなっているのか、かなり込み入った構成なのですが、言葉で
説明すると長くなります。添付に、最初の画像(文字色が黒)と、次の、現
在の画像(文字色が白で、ボールド体)を付けますの。画像をクリックする
と、600ピクセルの幅の画像が表示されるので、どう違っているのか、細
部はどうなっているのか、ある程度、分かります。

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添付画像・上:最初のスプラッシュ(文字色黒)
添付画像・下:現在のスプラッシュ(文字色白)

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