Wing of Sophiaa
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> <FONT FACE="メイリオ"> > 振り返って、本年2017年は、2月に新年の挨拶を書いた後、 > ほとんど何の書き込みも活動もなかったです。 > > 来年、2018年は、と記したいですが、人生の予定は変化する > し、人生にあって、「予定」など果たして立てられるのかとも思 > う。 > > 昨日というか、正確には、今日になるのですが、眠ろうと思って > 横になって考えていると、あと何年生きているのだろうかという > ようなことを考えました。 > > あと20年。それは難しいと思った。では10年。十年ぐらいの > 時間ならまだ生きていられるようにも思ったが、それも、人間の > 身にあって不確かなことでしかない。 > > 思って見て、人生は何と「夢」のように過ぎ去って行くのだろう > か。それぞれの人生の過程で、十年ごと、あるいは五年ごとで、 > 何があったか、何をしていたかを考えると、時間のなかで、十分 > に色々なことをしてきたと思う。従って、「あっという間に時間 > が流れ去る」というようなことは、なかった。 > > それぞれの年代でそれぞれの年と時間で、意味があったかなかっ > たかは別に、色々なことをしてきた。それが地上的な、世俗的な > 成果を結んだか否かと云うことで、時間の充実度を測ることはし > ないので、自己の内的な生の充実で考えれば、十分に内容のある > 歳月であり、レーベンのツァイトだった。 > > ただ、いまになって感じるのは、すべて「空しい」という思いで > す。伝道者の言葉は十代に読んで、古代の賢者の智慧の助言は理 > 解できたと思った。従って、伝道者の述べた言葉の通りに、今、 > ときの経過を知って、死を前にするときに至って、後悔すること > は多々あるかも知れないが、人生をもう一度やり直そうとかは思 > わない。 > > ただし、悪魔の神(ダイモーンの神)が現れて、時間を遙かな青 > 春の頃に戻そうと云えば、それに同意するかも知れない。生きて > 来た時間や、その内実を空しいとは思っても、これがわたしの人 > 生であるなら、それはそれで良しとすべきである。ダイモーンが > 別の人生の路を用意するというなら、それは、この人生を否定し > てではなく、いま一つの別の人生を生きるチャンスを提供しよう > 云うことで、この人生を否定して無価値であるとして、別の人生 > を選ぶわけではない。 > > この人生の後に、別の新しい人生がありえるということなら、そ > れはまた望ましいし、死後に人の魂を待っている定めは、再びの > この世界、あるいは別の世界での、「覚醒」であろうと思う。 > > ------- > > ともあれ、聖なる冬至は過ぎ去り、新しい年が訪れようとしてい > る。 > 過ぎ去る年は、いかなることがあったとしても、人生のアーカシ > アに銀色の記録として残っている。それが望ましいか否かは、人 > の意志や望みではいかんともし難い。しかし、実存の生の刻印は > 神聖なものである。 > > 来たるべき年は、光に満ちて、闇はそれに打ち勝つことができな > かった原初の時間が、透明な流れのなかに幽かに垣間見える年で > ある。年ごとに、この真理は変わらない。 > > 人は、闇の無から生まれ、やがて、闇の無へと還って行く。 > だが、その生の過程は、闇を越えた光に通じた過程である。人は > かくて、或る意味で、「永遠の命」を持っている。永遠は、いま > とここにあるとも言える。 > > 新たな年を迎えるにおいて、各位にあられましては、「永遠の光」 > の惠みが、その一日一日の日々の生にありますように。 > <FONT COLOR="#6040f0"> > 2017年の最後の日に、かく記し、 > 翼の主の祝福をかく冀います。 > > 幸いなるかな心貧しき者、 > 天の国は爾らの魂にすでに宿っている。 > </FONT> > <FONT COLOR="#808080"> > Miranda Noice Welrech en StirLizania, > a 22:50 en decembre, 2017 > > _ khaire</FONT></FONT> >
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