Wing of Sophiaa
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> <FONT FACE="メイリオ"><FONT COLOR="#0000e0"> > > ミランダさんにお聞きしたいことがあります。 > > > > すでに心はプレーローマに住み、至高者への回収が決まった霊は、もう肉体に宿っている必要も意味もない。 > > だから、そのひとはとっとと自殺してもよいと思いませんか? > > また、子孫を残さないということも正しい行為ではないでしょうか? > > デミウルゴスへの不服従の証しにもなると思うのです。 > > いかがでしょう?</FONT> > > こんんちは。難しい問題を尋ねておられるので、考えていたのです。 > とりあえず、ここでの問いかけについて、基本的にわたしの考える所 > を述べさせて戴きます。(より、詳しく言葉を交わさなければ、ある > 言葉で、何を意味しているのか、違った内容を概念している場合があ > ります。あるいは、このような認識の内容確認を拒否する考えや立場 > の人もいるのが事実です。「自明性の欠如」というのは、精神医学の > 概念ですが、「欠如」というよりも、「不確実さ」はきわめて一般的 > な事態で、互いに話をしていて、そこにプラグマティックな意味で、 > 支障がなければ、互いに語っている内容が異なっていても、問題がな > いと云うのが、かなり普通の考え方です。しかし、ある種の問題は、 > 何を意味し概念しているのか、確認がなければ、話がすれ違うだけに > なります)。 > > というような前置きですが。 > まず、先に「シャイン(幻象・仮象)」ということを書いたと思いま > す。「シャイン」というのは、存在するように思えて、実際は存在し > ない「もの・こと・事態・構造」のことです。 > > 「プレーローマ」、「アイオーン」、「デーミウルゴス(造物主)」、 > 「実体としての悪」、また「霊と肉の二元存在項」、こういったもの > ・事態・構造の概念は、紀元、2,3世紀の地中海世界での文化水準 > に適合した「世界把握・世界の像」として、想定(措定)されたもの > です。「措定された」というのは、「実存在」として自明ではないと > 云うことです。ただし、このような概念枠、構造設定で、人間の存在 > 状況をモデル化することは、現在でも有効な場合があります。 > > しかし、例えば、「宇宙・世界(コスモス)」とは何か、と考えても、 > 紀元2,3世紀の人が知っていた・認識していた「宇宙」の像は、現 > 在では、そのままでは有意味ではないと云えます。 > > グノーシスの「反宇宙的二元論」においては、「宇宙」とは何か、と > いうことは、本質的に重要なことになります。その「宇宙」の概念、 > 存在像が、現代と紀元2,3世紀では明らかに異なっていると思う。 > また、「二元論」においても、「肉体と霊」の二元論と云っても、霊 > とは何か、現代においては、必ずしも自明なものではない。かつては、 > 「霊」というものは、確かな何かだと考えられていたかも知れないが、 > 今日において、霊とは何かと尋ねると、答えが明らかではない。 > > 「反宇宙的二元論」は、「秩序宇宙一元論」に対するアンティテーゼ > として、何かの具体的な意味を持っていた。意味喚起作用があった。 > 現代においては、宇宙の実体的な存在は、「物質」であると考えるの > がモデル的に、もっとも一般性があると思える。そこに山があるとか、 > 建物があるとか、犬がいるとかは、物質実体が存在すると考えるのが、 > 共通理解可能な解釈だと思う。(ただし、このような世界のモデルに > 対し、同意しない人もおられる)。 > > しかし、それでは「物質実体」とは何なのか。実はよく分からない。 > 物質は、結晶分子の集合としてある。ガラスなど、非晶質のものもあ > るが、ほぼすべての物質は、結晶の立体構造として把握される。そし > て、結晶分子は、原子の結合構造として把握される。原子は、電子、 > 陽子、中性子などの素粒子から構成される。素粒子は、今日の標準モ > デルでは、クォークから構成されている。クォークとは何なのか。超 > 弦モデルが提唱されているが、超弦は、一つの可能性のあるモデルで、 > クォークの構造は、現在、なお不明というのが正しい。 > > 物質が存在実体であるとして、ミクロのレベルで、物質存在のありよ > うを尋ねて行くと、分からないということになる。また、マクロのレ > ベルへと問いを向けると、宇宙は、200億光年の四次元超球体なの > か、あるいは、もっと多次元、多計量の数千億光年のスケールを持つ、 > 何かなのかも知れない。「時間」とは何かというのも、よく分からな > い。「全能の神」は、時間とは何か、空間とは何か、物質とは何か、 > 霊とか肉とは何か、すべて知っているはずである。あるいはアイオー > ンの超英知知性存在は、そういった問いの答えを持っているはずだ。 > > しかし、これは、そのような期待あるいは仮定で、空間や時間や物質 > や精神、霊、魂とは何か、分かっている訳ではない。 > > 古代の人々は、デーミウルゴスが「悪の世界・不完全な世界」を造っ > たと述べれば、それで、納得が行く人がいたかも知れないが、現代の > 我々は、もっと豊かな世界についての知識を持っている。そして、そ > の知識に基づくと、宇宙が何故、このように存在するのか、実は、よ > く分からない。 > > 人は、自殺を選ぶことはできるだろうと思う。宇宙の根源の根拠は分 > からなくとも、自殺することは可能である。 > > また他方で、果てしのない知識の集積や問いかけよりも、今日いまを、 > いかに生きるか、今日の生活の糧、精神にとっての糧を得ることの方 > が、より身近で、直接的に重要なことだという考えもある。プラトー > ンが伝えるソークラテースは、死の前にあって、我々は「言葉嫌いに > なることは避けようではないか」と云った。「言葉嫌い」とは、言葉 > が、ロゴスであるから、「論理的な思索嫌いはやめよう」と云う意味 > でもある。カントは、理性には、実践的な理性と、論理的な、純粋理 > 性があると考えた。 > > いかに生きて死ぬのが善であるかは、倫理的な問題であり、人間の人 > 生にとって、これこそ、重大な問題であるとも云える。しかし、純粋 > 理性もまた、倫理的な思索能力、つまり実践理性と並んで重要である。 > > 何が良いことで、何が悪いことか、判断することは重要な問題である > が、その問題を考えるには、純粋理性を鍛えて、合理的な論理によっ > てものごとを考え判断せねばならない。 > > 「なむあみだぶつ」と唱えれば極楽往生ができるというのは、平易な > 答えかも知れないが、何故、なむあみだぶつ、と唱えれば極楽に行け > るのか。これを吟味するのは、理性であり、この場合、純粋理性と、 > 実践理性の両輪が必要になる。 > > 先に、「光の閃き」は照明体験とも呼ばれ、直観における真実の覚知 > であるとも述べたが、同時に、直観による真実覚知は、常に吟味され > るのであり、その吟味過程は果てしがないとも述べました。 > > 悟りを開いたので、もはや死は何も恐ろしいこともなく、世界の根源 > の真理さえ、悟った。それ故、いまからみずから死に赴く。これはこ > れで、実存の決断でしょう。しかし、その悟りとか、悟った真理とか > は、本当に、真の真理であり悟りなのか。 > > 紀元2,3世紀の地中海世界のグノーシスの教師や、悟りを得た人た > ちで、自殺した人というのは、聞いたことがない。古代ローマ人は戦 > 士でもあったので、戦いに敗れれば、潔く自殺したというのも事実で > あるが、プラトーンの教えを知ったので、自殺したというような賢者 > はいない。古代ギリシアの詩に、プラトーンの霊魂説の本を読んで、 > さらば、此の世よ、わたしはイデアーの世界に行くと云って自殺した > 若者を詠った詩があるが、気の早い若者はともかく、充分に考え、生 > きて、人生の意味を尋ねた人で、かくも安易に死を選んだ人はいない。 > > 古代のグノーシスは、当時の「秩序宇宙一元論」宇宙論に対するアン > ティテーゼとして提唱されたものであるが、グノーシスの英知を悟っ > た者は、自殺するのがよいなどという教えはどこにもないと思う。 > > 現代は、宇宙論も存在論も、古代世界以上に、何が真実か分からなく > なっている。既存の秩序宇宙論に対する、実存の本質回復としてのグ > ノーシスは、それ故、古代世界以上に、何がグノーシスか分からなく > なっているとも言える。仏教もキリスト教も、その教えは、むしろ懐 > 疑で見られている。昔ほどに熱心に仏教やキリスト教に帰依する人は > 少なくなっているとも言える。 > > それ故に、現代のグノーシス・智恵の探求というものは、大きな実存 > のテーマとなっているが、その答えるところ、探求の道は、安易なも > のではないと思う。 > > とりあえず、わたしには、このようにしか答えられない。 > > 悟りの体験や実感は、覚醒剤やLSDの幻覚体験のなかでも得られる > のであり、覚醒剤の幻覚のなかで、わたしは悟りを開いたと叫びなが > ら、自分でそれと知ることもなく、高い建物から飛び降りて死ぬのは、 > 悟りの結果なのか。そんなことをするのは、事故の類いに過ぎず、悟 > りや救済や智恵などと、何の関係もないことであるだろうとわたしは > 考えるのです。 > > _ SPH > </FONT>
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